山野 修治 | チームマネージャー

SHUJI YAMANO

山野 修治

ニックネーム しゅうじ
生年月日 1996/12/6
出身地 東京都
星座 いて座
血液型 B型
略歴 早稲田実業学校高等部早稲田大学
代表歴 -
在籍年数 3

山野 修治物語

 山野修治の人生の転機は、早稲田大学4年の初夏に訪れた。
「東芝のOBでもある三井大祐コーチ(当時)から、『東芝がマネージャーを探しているけれど、興味はないか」と言われたんです」
 ケガの多いプロップだった山野は、3年へ進級するタイミングで現役から退き、マネージャーに転身した。卒業後はラグビーとは関係のない世界で生きていくつもりで、すでに就職先の内定を得ていた。
「トップレベルの選手でもなかった自分が、東芝ブレイブルーパス東京のようなトップレベルのチームに関われるなんて、1ミリも想像していませんでした。チャレンジしたい気持ちがすぐに芽生えて、三井さんと一緒に望月(雄太)さんと会う機会を作ってもらいました。目の前の人に100パーセント以上の労力と時間を割いて接する、という東芝の良さが伝わってきました。スタッフの人たちの温かさが伝わってきて、一緒に仕事がしたいと思いました」
 山野が抱く東芝ブレイブルーパス東京への忠誠心は、チームへ合流してすぐに揺るぎないものとなる。19年春のプレシーズンマッチで、大学を卒業したばかりの彼は衝撃的な光景を目にする。
「僕よりずっと年齢が上の選手たちが、試合に負けてロッカーで泣いていたんです。僕自身も試合に負けたら悔しかったですけど、負けて泣けるこのチームの選手たちはすごい、大学ラグビーより熱いぞ、と。このチームを選んで間違いなかった、ここにいる人たちのために仕事をしたい、と思いました」

 スタッフ1年目はマネージャーをサポートする副務、2年目は広報・ファン担当、3年目は広報を担当した。4年目となる22―23シーズンは、主務とも呼ばれるチームマネージャーの肩書でハードワークしてきた。
「広報とマネージャーでは、やり甲斐は全然違います。広報はチームの良さを外へ伝えることが仕事で、ファンやメディアのみなさんの声を近くで感じることができます。副務、主務はチームの勝利、選手たちが喜んでいる姿が、自分の原動力になります。負けたあとに選手たちが泣いていると、もらい泣きしてしまいますね。勝ったり負けたりするたびに、この人たちのために次の1週間も頑張ろう、次の1年も頑張ろう、と思います」
 ひたむきに仕事に取り組む山野だが、気持ちが揺れることもある。かつての自分を恥じながら、そっと打ち明けた。
「2年目、3年目に、選手から何かをお願いされても、いまはちょっと忙しいからと自分に言い訳をして、後回しにすることがありました。22―23シーズンから主務に戻って、『選手たちのために全力を尽くす』という気持ちを、もう一度大切にしようと心に誓いました」

 チームマネージャーの仕事は多岐にわたる。山野が一つひとつの仕事を遅漏なく進めることで、スタッフと選手たちは日々のスケジュールをスムーズに消化できているのだ。
「主務の仕事は試合に勝つ、負ける以前に責任重大で、試合ができる、できないに関わってきます。48時間前の23人の選手登録を忘れたり、登録する選手を間違えたりしたら、試合に影響が及びます。広報だった去年は勝ったら嬉しい、負けたら悔しいと気持ちが動きましたが、いまは試合が終わると胸を撫で下ろす感じです。試合終了から1時間半後に選手たちバスに乗せるまでが仕事なので、全員が乗ったのを見るとホッとします」
 主務の仕事は、チームの勝利にダイレクトに結びつくものではない。それでも、チームに欠かすことのできない仕事である。
 謙虚で実直な男には、控え目なロマンが似合う。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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