李 聖彰 | FL

SONGCHANG LEE

李 聖彰
李 聖彰
ニックネーム そんちゃん
生年月日 1991/8/24
身長(cm) / 体重(kg) 187cm / 103kg
足のサイズ(cm) 29cm
出身地 東京都
星座 おとめ座
血液型 B型
略歴 東京朝鮮中高級学校帝京大学
代表歴 U20
在籍年数 10

李 聖彰物語

※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です

 李聖彰がラグビーを本格的に始めたのは、東京朝鮮高校に入学してからだ。中学まではサッカーがメインだったが、高校からボールの種類を変えた。
「父が高校でラグビーをやっていたので、それが記憶として残っていたのかもしれません。高校のラグビー部では、伸び伸びやらせてもらいました。先生方にはめちゃめちゃ感謝しています。そこでラグビーをやらせてもらったからこそ、いまこうして東芝ブレイブルーパス東京の一員でいられるので」
 花園に出場することはできなかったが、高校日本代表の候補選手に選ばれた。複数の有力大学が注目する存在となり、そのなかから帝京大学を選んだ。当時の岩出雅之監督から、直々に誘われたことが背中を押した。
「大学ラグビーを熱心に見ていたわけではなかったので、入学してから知ることになるんですが、帝京には僕のように高校からラグビーを始めた人は少なく、有名な高校から来た選手もいました。周りの選手たちが、ものすごくうまく見えました。自分のスキルに自信があったわけでなく、練習もキツくて。高校までは在日の社会で育ったので、寮生活も少し不安でした」
 帝京大学ラグビー部は、上級生が率先して雑用をする。“脱・体育会”の気風だ。李が抱えていた不安は杞憂に終わる。
「上下関係が全然なくて、こんなにフレンドリーなんだって驚きました。毎日ガムシャラにラグビーをやっていたら、1年生からリザーブで、2年生からはスタートで使ってもらいました」
 ナンバーエイトとしてチームのタイトル獲得に貢献すると、トップリーグの複数チームから声がかかった。
「帝京の1年だったときに、森田佳寿さんが3年で、森太志さんが4年だったんですね。森さんが東芝ブレイブルーパス東京へ入ることが決まったときに、『そんちゃんも来いよ』と言われて、それから東芝ブレイブルーパス東京というチームを意識するようになったんです」
 東芝ブレイブルーパス東京のチームカラーにも惹かれていた。
「あるチームの採用担当の方からは、『チームが強くなっていくためにお前が必要だ』と言っていただいたのですが、日本で一番すごいバックローが集まっているチームでチャレンジしたいと思い、最終的にブレイブルーパスに決めました」

 李が加入した当時のチームには、現在も所属する三上正貴やリーチ マイケル、日本代表の大野均や廣瀬俊朗らがプレーしていた。キャプテンは現コーディネーターで大学の先輩にあたる森田だった。
「均さんとかマイケルさんとかと一緒に練習することになって、『おおっ、すごいなあ』と。このチームで自分がどこまでいけるんだろう、と思いましたね。ニュージーランド出身のスティーブン・ベイツもいたんですけど、普通にバンと当たったら跳ね返された。それでイラっとしちゃって、そこから3回連続でベイツだけを狙ったけれど、すべて跳ね返されました。『ああっ、この人すごいなあ』というのが1年目でした」
 加入4年目の18年シーズンから出場試合数を増やした。トッド・ブラックアダーHCが就任した同6年目の2020年シーズンは、開幕から6番と7番を背負って出場を重ねたが、新型コロナウイルスの感染拡大でリーグ戦が中止されてしまった。
 翌21年シーズンは、ケガもあって1試合も起用されなかった。
「その前のシーズンは自分なりにバリバリ出た感覚で、7年目はケガもあったのですが戦力と見なされていないな、というのが自分の受け止めで。メンタルの落ち込みかたがひどくて、不貞腐れてましたね……」
 練習には時間ギリギリに来て、キツいメニューはやり過ごした。
 練習が終わると、自主練もやらずにすぐに帰った。
「そこでもう切られるだろうと思ったのですが、チームが残してくれた。僕にまだ求められていることが、試合に出ていなくても求められていることがあるんだと考えるようになりました。チームに残してもらっている以上は少しでも貢献しなければ、という思考に切り替えることができました」


 東芝ブレイブルーパス東京のユニフォームを着て公式戦のピッチに立ったのは、20年2月23日が最後となっている(23年3月末現在)。もう3年もキャップから遠ざかっているが、李には自分を奮い立たせる三つのモチベーションがある。
「ひとつ目は、自分に声がかかったときに100パーセントでプレーできる準備をしておくこと。ふたつ目は、ここ2、3年の自分の立場から考えれば、いつ切られてもおかしくないので、どんなときでもチームに貢献することです」
 三つ目は、セカンドキャリアにも関連している。小学校1年から高校3年まで在日の社会で生きてきた彼は、自らのルーツに深い愛を抱く。あとに続く同胞たちに、少しでも良い環境を手渡したいと考える。
「小学1年から高校3年まで在日の社会で生きて来て、その社会が今後も盛り上がってほしいし、大阪朝鮮高校だけじゃなく、東京朝鮮高校のラグビー部も盛り上がってほしい、東京の高校を強くして在日社会に力になれたら、という思いがあります。現役を終えたら高校のラグビー部の指導をしたいんですね。そのためにいまは、選手の立場で少しでも多くのことを学びたいんです」
 東芝ブレイブルーパス東京の加入初年度から、「このチームのバックローはナンバー1だ」と自負してきた。
「日本代表と各国代表が揃っているんですからね。東芝のバックローの一員でホンマに良かったと思っていて、これからもチャレンジし続けて、もっともっと結果を残していきたいんです。22-23シーズンもケガをしてしまいましたが、いまも痛みはあるけどプレーはできます。とにかく、チームの力になりたい」

 シーズンが幕を閉じる最後の1秒まで、チームのためにできることを探す。いつか自分のラグビー人生を振り返ったときに、胸を張って「やり切った」と思えるためにも。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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