【物語りVol.145】小川高廣 はるかなる旅路の途中で(後編)

■「もう戻れないかもしれないな、と思ったりもした」
24年5月26日のプレーオフトーナメント決勝で日本一に輝いたチームは、長いシーズンを終えて充電期間に入った。
1月下旬に左膝の前十字靭帯と内側靭帯を断裂する大ケガを負った小川高廣は、チームがオフの期間もリハビリに励んでいた。松葉杖が取れると左膝を引きずるようにしながら歩くことから始め、少しずつ可動域を広げていった。シンプルでありながら恐ろしく過酷で忍耐が必要なリハビリを、小川は自らに課していった。
当初は安静のために固定されていた膝を曲げられるようにするだけでなく、精いっぱい伸ばすことができるようにするのも、本来の機能を取り戻すためのプロセスだった。左膝は少しずつ、本当に少しずつ、小川の意思を反映するようになっていく。
灰色だった毎日が、徐々に色を持ち始めていった。
「プレーオフ優勝から次のシーズンの練習が始まるまで、2か月ぐらいあったんです。その間にちょっとずつ気持ちを切り替えることができて、早く走りたいな、早くラグビーをしたいな、っていう気持ちになっていきました」

梅雨が明けるころには、「歩く」から「走る」へ移行する。アスリートとしての本能的な欲求を、いよいよ解放できる。
本当に忍耐が必要なのは、実は、ここからだった。
「8月に入ったらチーム練習が始まるので、そこには間に合うようにしたかった。焦りがあったんです。それで、左膝がまだ痛いのに無理をして走ってしまって……」
ふくらはぎを肉離れしてしまうのである。決められた距離を15秒で走り、15秒休んでまた走るというユーロフィットのトレーニングに、ケガから復帰過程の両足がついてきてくれなかった。知らず知らずのうちに膝をかばい、ふくらはぎに負担がかかっていたことが原因とみられた。
肉離れは、1度限りではなかった。痛みが癒えて、またユーロフットで肉離れをおこすという悪魔のようなサイクルが、あろうことか3度も続いたのだった。
「ユーロフィットのトレーニングを超えられない、というのがあって。でも、24-25シーズンの開幕が近づいてきた頃にようやく走れるようになってきて、12月7日の最後のプレシーズンマッチに出られるかもしれない、っていうところまでこぎ着けたんです。そこでまた、肉離れをして。『ああ、もう、終わったな』って思いました」
リハビリのペースを上げるたびに肉離れに襲われ、復帰という名の扉が目の前で閉まる。モチベーションを強制的に削り取られる。不安を消すために練習をするという、アスリートならではのルーティンに身を置くことができない。心が折れる音を、小川ははっきりと聞いた気がした。
地獄の淵に立つような日々のなかで、支えとなったものは何だったのだろう。あるいは、何かに思いを巡らせる余裕さえなかったのだろうか。
「何かを支えにしたとかいうことはなくて、もうホントに1日、1日を肉離れしないで乗り切る、という感じでした。それだけ、でしたね。開幕前に4回目の肉離れをしたときは、さすがにもう戻れないかもしれないな、と思ったりもしたし。先のことなんて、全然考えられなかったので」
肉離れをおこした両足のふくらはぎと丁寧に対話をしながら、ランニングの距離や強度を調整していった。ずっと寄り添ってくれるトレーナー陣の存在は、大きな励みとなった。

人知れずトレーニングを続ける小川に、待ち望んだ瞬間が訪れたのは2月22日だった。BR東京とのリーグワン第9節で、リザーブメンバーに名を連ねたのである。
「ちゃんと走れるようになったのはその2、3週間前で、まだトップスピードで走れていない。試合に出るにはもうちょっと時間がかかるかなと思っていたんですけれど、スタッフがその状態で出すという決断を下してくれた。それに対して、やれることをしっかりやらなきゃいけない、と思いました。100パーセントの状態じゃないからダメでしたなんてことは、出ている選手にも、出ていない選手にも失礼ですから」
26対25と1点差に詰め寄られた直後の、52分から出場した。難しい展開だったが、試合の流れにスムーズに溶け込んでいく。チームはギリギリで勝利をつかんだ。

■チームは連覇へ向かうが、「自分は初優勝を目ざす気持ちで」
試合後の記者会見では、トッド・ブラックアダーHCが小川の復帰についての質問を受けた。指揮官は声を弾ませた。
「チーム内で非常に信頼の厚い、人気のある選手です。大きなケガからリハビリをしっかりやって、戻ってきてくれました。チームとしても非常に嬉しい瞬間になりました。復帰戦なので少しぎこちない部分もあったかなと思いますけれど、すごく展開の早い試合だったのでそれもしかたがなかったとも思います。とにかく、戻ってきてくれて嬉しいですね」
リーチ マイケル主将も、盟友の復帰を歓迎した。期待が自然と言葉になる。
「チームにとってすごくうれしいです。彼を待っていたので。日本で1番のスクラムハーフだと思っているので、これからどんどんチームに影響を与えてくれると思います」
小川自身も「戻ってこられてホントに良かったです」と切り出し、「やっとスタートラインに立てました」と安堵の笑みをこぼした。
「自分がケガをして、チームが優勝して、忘れられたじゃないけれど、印象が薄くなっているなって感じていたので、ここからまた、『オレはいるぞ』っていうものを見せられるように。今日のプレーではまだまだ全然ダメですけれど、少しずつ上げていきたいです」
戦列から離れていた時期には、労いや励ましの言葉を受けた。
その一方で、胸をえぐられるような経験もしている。相手からすれば悪意のないひと言が、小川の感情を激しく揺さぶったのだった。一度ではなく、何度も。そして、反骨心が立ち上がっていく。
「試合に出ていなかったからなのでしょうが、久しぶりに会う人に『引退したの?』って言われることがめちゃ多くて。それがもう……。引退しないためにリハビリを頑張っているのになんで、というのはすごくありました。そうやって言われるたびに、絶対復帰してやる、っていう気持ちが強くなっていきました」

復帰戦となった9節から10節、11節、12節と、21番を着けてプレーした。13節の三重H戦では、9番を着けて55分までプレーした。
復帰戦の直後には「こんなにもゲームフィットネスが落ちているのか」と戸惑いを口にしたが、現在は「もう少しでイケるんじゃないか」という手応えを得るまでになっている。肉離れの再発に注意しつつも、左膝への不安は格段に小さくなってきた。
「筋力を数値で見ても、すごく伸びてきているんです。試合をもっと重ねていけば、もっと身体が馴染んでいくのかなと」
3月18日に34歳となった。ベテランと呼ばれる年齢だが、「自分ではまだまだ、っていう気持ちです」と笑う。「性格的にも、ベテランっぽい感じじゃないですから」と、もう一度微笑んだ。
「チームとしては連覇を目ざしていますけど、自分は初優勝を目ざす気持ちでやっています。そのためには、もっともっと頑張らないと」
東芝ブレイブルーパス東京は3月30日の第13節で、ライバルたちに先んじてプレーオフトーナメント進出を決めた。今シーズンこそは決勝の舞台へ立ち、そして──。
身体の奥からわき出てくる力強い気持ちが、小川の全身を駆け巡っている。チームに求められるプレーを遂行しつつ、自分だからこそ出せる色を試合で表現していく、との決意を胸に刻む。
前回の決勝とは違う思いへ、辿り着つくために。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
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