【物語りVol.153】川端 昭彦 ヘッドS&Cコーチ

 

 

優勝は「最低限の目標」と言う。
「結果を残すために経験のある僕を選んでくれた、というところはあると思うんです。連覇しか評価されない立場で、優勝は最高の目標であり、最低限の目標でもあるのです」
 川端昭彦のS&Cとしてのルーツは、アメリカにある。高校1年時に留学し、アメリカでスポーツ医学を学びたいとの意欲を芽吹かせた。ホストファミリーに相談するとピッツバーグ大学を勧められ、高校卒業後に受験して合格する。アメリカで4年間、アスレチックトレーニングの勉強を重ねた。
 卒業後の2001年には、日本のプロ野球チームからオファーを受ける。大学在学中にメジャーリーグのチームでインターンをした関係で、日本のプロ野球界にネットワークを持つことができていた。
「帰国してチーム側と面談をすると、トレーナーではなく通訳として雇いたいという意向でした。僕自身は資格を生かしたいと考えたので、当時トップイーストリーグに所属していた日本航空ラグビー部で、トレーナーとS&Cの兼務で働くことになりました」
 日本航空ラグビー部での仕事と並行して、専門学校で講師を務め、整形外科で働いた。その後は青山学院ラグビー部のS&Cとなり、プロテニス選手のパーソナルトレーナーにも就いた。そうした日々のなかで、東芝ブレイブルーパス東京とつながりを得た。

 

 

「釜澤晋さん(現在は営業部部長)が日本航空ラグビー部に、スポットコーチのような立場で教えに来ていたんです。青山学院ラグビー部に関わるようになると、今度はリクルーターの仕事をしている釜澤さんにお会いしました。次第に情報交換をするようになり、忘れもしない14年3月27日、釜澤さんから電話をもらったんです」
 この日からの数日間で、川端の人生はドラスティックに動く。
「留守番電話を聞いたら、東芝がS&Cを探しているから来てくれないか、と。その時点で4月からの仕事はすべて決まっていました。釜澤さんにはホントに光栄ですけれどちょっと無理ですとお話したら、監督の冨岡に会って話しだけでも聞いてくれ、と言われまして」
 3月29日夜、府中事業所のクラブハウスを訪れた。当時の監督だった冨岡鉄平に対面する。互いに右手を差し出すと、冨岡が言った。
「やっぱり、S&Cはこういう握手だよな」
 身体に電流が走るような感覚があった。
 翌日、青山学院ラグビー部の監督に相談をした。「いま行かれたら困るけれど、ひとりのラグビー人としては挑戦してもらいたい」と背中を押してもらった。専門学校に相談すると、「担当している14コマの授業を、引き受けてくれる人を探してくれるのなら」という条件付きでOKが出た。
 自身の仕事に対するスタンスとも、折り合いをつける必要があった。3人の子どもを持つ父親として、得意先を分散して収入を得るようにしていた。特定のチームや組織にフルタイムで所属することは避けてきたのだが、自身が「ラグビー界のヤンキースや巨人」と位置づける東芝ブレイブルーパス東京からのオファーである。「これはチャンスだ」と決意を固め、14-15シーズンからスタッフ入りしたのだった。

 

 

東芝には2シーズン在籍した。その後は豊田自動織機で3年間働き、19年からNTTコミュニケーションズシャイニングアークスのスタッフとなる。浦安D-Rocksへチーム名を変えたあとも在籍し、24-25シーズンに東芝ブレイブルーパス東京へ復帰した。
「D-Rocksでトータル5年間仕事をして、次のステップを探していたときに、声をかけていただいて。僕自はずっと日本一になりたいと思ってきましたし、もう絶対に結果を残すんだという気持ちで来ました」
時間の流れは変化を促す。東芝ブレイブルーパス東京は変わり、川端も変わった。一方で、変わらないこともある。
「選手は本当にラグビーが好きで、勝利に飢えている。メンバーは変われども、スタンダードは前回働いたときと同じく高い。なるほどな、こういうチームだからチャンピオンになるんだな、と納得できます。自分が持っているものをすべてぶつけないと、チームにとっていいものになっていかない。そういう緊張感、充実感、やり甲斐があります」
 やり甲斐を感じる場面を聞く。それはつまり、強さの神髄を解き明かすことと同意だ。
「世界有数の選手も自分を信頼して、一つひとつのセッションに100パーセントでコミットしてくれる。そのコミットのしかたが、このチームの選手は濃い。誰ひとり手を抜かないし、スタッフが手を抜かせない。スキがないのです」
 スタッフが互いに知識や技術を磨き合う空気も、強さの裏づけになっていると感じている。
「インターナショナルレベルのトッドHCを筆頭に、経験のあるスペシャリストが集まっている。お互いをリスペクトしながらコミュニケーションを取っていて、その量も多くて深い」

 

 

24-25シーズンを迎えるにあたって、25年6月1日のプレーオフ決勝を見据えた。そこからの逆算で、中長期的及び短期の練習量と強度を設定していった。リーグワン開幕後は5試合のブロックごとに、練習量や強度を調整していった。GPSなどの客観的なデータを鋭く読み込み、経験と知識を総動員し、スタッフと意見交換を重ね、次の試合への最適解を見つけていく。
「僕の仕事はボディビルダーを作るため、身体をでかくするためではなくて、選手がいかにいいパフォーマンスを出せるか、いかにケガをさせないか、に尽きます。ケガをさせないための布石は、色々なところで打っています。練習量をコントロールし過ぎるとチームとしての強化になっていかないので、強度を上げるときはしっかり上げる。コントロールすべき時はする。そこのバランスは、この仕事の醍醐味でしょうね」
 自身がS&Cの仕事を始めた当時に比べると、その仕事は認知度を高めてきた。そのスピードをさらに加速させたい。後進に知識や経験を伝えたい。S&C業界の発展に貢献していきたい。
 そのためにも、自分が働いているチームを日本一にしたい。
 最低限の目標は、無上の喜びを得られる最高の目標でもある。

 

 

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)


【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
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次戦はプレーオフ準決勝として、5/24(土)に秩父宮ラグビー場にて 準々決勝(静岡BR  vs  神戸S)の勝者 と対戦します。

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