【物語りVol.173】HO 日吉 健



東芝ブレイブルーパス東京に在籍するほどの選手なら、ラグビーとの出会いは必然と言って差しつかえないだろう。ただ、楕円球との出会いについては、実はささやかな巡り合わせだったりするものだ。
 日吉健もそんなひとりである。
「最初はサッカーをやろうとしたんですけど、ボールを無くしちゃって親に怒られたんですね。それでやめようってことになって、自宅の近くの河川敷でラグビースクールみたいなのがあったので、そこへ行ってみようと」
 小学校1年生当時だから、記憶にはあいまいなところがあるかもしれない。とにもかくにも、健少年はボールを足で蹴るのではなく、手で運ぶようになった。スポーツというより遊びに近い感覚だったが、父親もやっていたラグビーを続けていくことになる。
 地元の中学校へ進学すると、また小さな巡り合わせに恵まれる。
「たまたまラグビー部があったんです。僕らの地域やったら、自分らの学校ぐらいにしかなかったんですが。野球部もサッカー部もないのにラグビー部がある、という」
 ラグビー部はあったが、人気の部活だったわけではない。部員は少なかった。大阪府内の大会で、上位まで勝ち上がることはできなかった。
それでも、日吉は大阪産業大学付属高校へ進学する。松永拓朗、小鍜治悠太、木村星南らがかつてラグビーに打ち込んだ環境へ、勇躍飛び込んだ。
「練習がメチャ長いんです。全体で3時間ぐらいやって、そのあとにジムへ行って、というような生活でした」




大学進学にあたっては、いくつかの選択肢があったが、京都産業大学へ進学した。
「いくつかお話しをいただいたのですが、京産は練習が厳しいと聞いていて、どんな感じなんやろう、やってみよう、というので選びました。」
 京産大は日吉の1年時に、関西大学リーグで23年ぶりの優勝を飾った。大学選手権ではベスト4に食い込んだ。同期も、先輩も、切磋琢磨していく雰囲気に満ちていた。
 同じフランカーの福西隼杜や三木皓正から、強い影響を受けた。福西は2学年上、三木は1学年上で、ふたりとも4年時に主将を務めている。
「そういう先輩たちの習慣を、日常から見ることができた。それはすごくプラスになりました」
 日吉は高校3年時に左肩を、大学1年時に右肩を手術している。その影響もあって、タックルに苦手意識があった。ケガのイメージを払拭できず、「思いっきり当たれなかった」という。
「でも、三木さんと一緒に練習させてもらって、自信を持てるようになりました。いまでは自分の武器と言ってもらえるようになったのは、三木さんとの練習のおかげでもあります」




京産大では2年時から試合に絡み、3年時は主に6番を着けてプレーした。同級生の間で大学卒業後の進路が話題になっていくなかで、日吉は東芝ブレイブルーパス東京の藤井淳アシスタントGM兼採用担当から声をかけられる。
「確か秋のリーグ戦だったと思うんですが、夏の菅平での合宿から見ていたよ、と言っていただきました」
 1学年上のヴェア・タモエフォラウがブレイブルーパスから誘われていることを、日吉を含めたチームメイトは知っていた。藤井がやってくるのはヴェアのリクルートで、ある日の練習後に声をかけられたのも、ごく普通のあいさつだと受け止めていた。
「練習が終わったところで淳さんに呼ばれて、『フッカーやらないか』と言われたんです。自分を見に来ているなんて思ってもいないので、『やります!』って答えたんです」
 このひと言が、日吉のラグビーキャリアを動かす。ブレイブルーパスから、正式に加入を打診されるのである。
「淳さんにあとから聞いたところでは、フッカーをやらないかと言われて『ちょっと考えます』とかじゃなく、即答で『やります』と答えたのが良かったそうで」
 京産大でプレーする日吉は、目標からの逆算で日々を過ごしていたわけではなかった。とにかくその日の練習に全力を注ぐ、との一心でスパイクを履いていた。
「そもそも、リーグワンのチームへ行けるとは思っていなかったですし、大学のコーチがひょっとしたら話を止めていたのかもしれないですけど、僕には他のチームからの話は何も伝わってこなかったんで、最初に声をかけてくれた東芝でフッカーでやろう、って決まった感じです。いざチームに入ったらなおさら、『フランカーじゃ無理やったな』と感じました。身長とか必要なスキルとかを考えても、フッカーで入れてもらって良かったんだろうな、と思ったりもします」



もちろん、フッカーというポジションを軽んじるわけではない。多くの日本代表選手を輩出してきたこのチームで、2番を着ける意味は重い。リザーブの16番も同様であり、もっと言えば試合当日のウォーミングアップに参加するバックアップメンバー入りも、熾烈な競争がある。
 日吉は「そうですね」と頷き、明るい表情で語る。
「高校でも大学でもそうだったんですけど、できないところからやるのも楽しいところがあるので」
 待ち受ける困難に気持ちが沈んでしまうのではなく、挑戦した先に何が見えるのかを楽しみにする。このスタンスこそが、日吉健という人間を貫く芯の部分である。びっくりするようなエピソードも、笑いながら披露する。
「ロールプレイングゲームを、4年ぐらいかけてクリアしたこともあります。何でもやりきりたい人間で、どんだけ無理でも、上手くなくても、時間をかけてでも、やりきる、みたいな」
 25年12月21日に行なわれた静岡BR戦で、リーグワン初キャップを獲得した。「ケガ人が出たりして、色々なことが重なった結果です。嬉しかったですけれど、それ以上に課題が残りました。もっと頑張らなきゃいけないと、さらにまた感じている日々です」
 キャップを取ったことでの気づきがある。グラウンドに立つ責任感に、改めて目覚めている。
「高校や大学とは違ってチーム内の年齢の幅が広いですけど、年上の選手も普通に話しかけてくれるし、惜しみなく教えてくれるんです。たとえば、(森)太志さんとかドゥルーザー(アンドリュー・マカリオ)は、やっぱり強いんです。で、『勝つためにはどうしたらいいですか』って聞くと、もっとこうしたほうがいいと教えてくれる。僕のレベルがまだまだというのはあるんですけど、一応は同じポジションなので教えたくない、となってもおかしくないじゃないですか。でも、こうしたらもっとイケるよって、言ってくれるんです」




次のスクラムをさらに良くする。次のラインアウトのスローに、さらに磨きをかける。ブレイブルーパスが大切にしてきた小事を大事にするカルチャーに、日吉の思いが鮮やかに重なり合う。
「具体的な目標とかは決めていなくて、これまでみたいに頑張り続けて、その先に何か見えたらいいかなと思っています。まずはこのチームのために、どれだけ頑張れるかを意識しています」
コーチ陣や先輩からの指導や助言に、しっかりと耳を傾けて。日々の触れ合いに感謝の気持ちを抱いて、モチベーションに変えて。まだ見ぬ未来が、日吉を呼びかけている。
 


(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)

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