【物語りVol.182】アニセ サムエラ デベロップメントコーチ

24-25シーズンを最後に、現役を退いた。08年に来日し、東芝ブレイブルーパス東京を含めて4つのチームでプレーした。
「実はもう1年やってもいいかなあ、と思っていました。あと1年ラグビー選手を続けて、そのあとはフィジーへ帰って農家になろう、なんてことも頭にありました」
妻もふたりの子どもも、日本での生活にすっかり馴染んでいる。子どもたちは、英語よりも日本語のほうがネイティブだ。自身のルーツがあるフィジーへ帰るというのは、おそらく最優先の選択肢でなかったのだろう。
サムエラも笑みを浮かべた。
「子どもたちには『もう引退しなよ』と言われていました。僕はチーム最年長で、20代の選手ばかりなんだから、と。確かに39歳という年齢は、引退を決めた大きな理由です。それと同時に、選手としてではなく別の角度からラグビーに貢献できるんじゃないかな、という考えもありました」

引退後も変わらずに、府中グラウンドへ通っている。25-26シーズンに新設された『デベロップメントコーチ』を任されたのだ。その役割について、藤井淳アシスタントGM兼採用はこう説明している。
「今シーズンはとくに若手選手に対して、1年間かけてここまで持っていきましょうというハイパフォーマンスプランというものを立てて、彼らの成長を促せる機会を作っていきたい。持続的なチーム力の底上げを実現するためには、若手選手の成長は必要不可欠だからです」
24-25シーズンの東芝ブレイブルーパス東京は、リーグワンで起用された選手がもっとも少なかった。トディことトッド・ブラックアダーHCは「良く言えば固定されたメンバーで戦えたということですが、裏を返せば選手層の厚みに課題があったということである」と話している。
チーム全体の底上げを促し、「公式戦のジャージを本気で獲りにいく選手」(トディ)を増やす。それこそが、サムエラに課せられたタスクである。
「彼は非常に真面目で、選手時代から後輩の面倒見もいい。ハイパフォーマンスプランというコンセプトに、すごく合っているコーチです」と藤井アシスタントGMは話す。個人のスキル向上やメンタル面のケアなどを担い、チーム全体に横断的に関わっていくデベロップメントコーチに、打ってつけの存在だったと言える。
「とくに大卒1年目の選手に対して、1週間の自分のプランをどうやって立てるのかとか、自分の弱みをどうやって強みへ変えていけるのか、といったことを話しています」

ラグビー選手には、様々なスキルの取得が求められる。スキルを身に着けるだけでなく、日々の練習でアップデートしていかなければならない。
「あるスキルを自分の武器にするとか、苦手なものを克服するとかいう方法は、ひとつではないわけです。私がどういうアプローチをしたのかを若い選手たちと話をして、彼らの成長の手助けになりたいと考えています。僕自身が選手と話をするだけでなく、『それについては、あのコーチに聞いたほうがいいよ』といったぐあいに、選手とコーチの架け橋にもなります」
サムエラが気に掛けるには、若手選手だけでない。25年3月に左ひざに重傷を負った德永祥尭は、26年3月の復帰戦で「ここまでのプロセスで、サムさんがコミットしてくれました」と感謝を口にした。ラインアウトで受傷した彼の恐怖感を消すために、技術的なアドバイスなどを受けたという。
チーム全体に目配りをしているトピックのひとつだが、「僕自身も学んでいるんです」と控え目だ。この謙虚な姿勢が、選手たちやスタッフとの結びつきを確かなものにしているのだろう。
「選手たちと話していると、僕自身もなるほどな、と思うことがあります。それはつまり、学ばせてもらっているということです。何でも自分ひとりで解決できるわけではないので、他のコーチに相談することもあります」

スタッフのひとりとなって、気づいたことがある。選手の立場では、気づけなかったことがあった。
「選手としての自分は、やるべきことにフォーカスをして、コーチから情報をもらってそれを遂行する、ということに集中していました。考える範囲がある程度決まっていました。この立場になってみて、コーチ陣やスタッフのみなさんが、チームのためにどれぐらい多くの時間をかけているのかを、改めて知ることができました。選手のパフォーマンスを向上させるためだけでなく、チームが今日も明日も同じように活動できるために、ホントにたくさんの人が動いています。見えないところでたくさんの人がハードワークしていることを実感しています」
仕事が楽しい、とは口にできない。「まだまだ、学ぶことがたくさんありますから」と、大きな身体を心なしか小さくした。
「このまま長く続けたい希望はあります。コーチとしてステップアップして、ディフェンス、アタック、フォワードといった専門的な仕事を任されるぐらいになりたいですね。それが実現するのは3年後なのか、5年後になのかは分かりませんが。そのためにいまは、たくさんのことを学ばなければなりません」
選手だった当時よりも、クラブハウスで過ごす時間が長くなった。
愛する家族と過ごす時間が「ちょっとだけ」減ってしまっているが、「それが苦ではありません」と、柔和な笑みを浮かべる。

東芝ブレイブルーパス東京は、「人を育てる文化」を育んできた。そして、25―26シーズンは多くの選手が初キャップを獲得した。たくさんの選手がゲームに関わりながら、シーズンを戦っている。若い選手を育てる文化を、サムエラが継承していると言えるのだろう。
心に刻む言葉がある。トディから何度も聞いてきたものだ。
「自分がいまいる環境で、いまできることに集中して、適応していく」
だから、成長を慌てない。うまくいかないことがあっても、心が揺らぐこともない。コーチという仕事にまっすぐに心を向けて、サムエラは東芝ブレイブルーパス東京の一員であり続ける。
(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)






























































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