【物語りVol.190】 LO マイケル・ストーバーグ

物心がついた頃にはもう、楕円球がすぐそばにあった。

「父が地域のクラブチームのプロップで、祖父母のご近所さんがフッカーで、ふたりのおじさんはロックで。ラグビーをやらないという選択肢はなかったですね」

やるしかなかったんですよ、とマイケル・ストーバーグは笑う。もちろん、強制されたわけではない。プロフェッショナルのラグビー選手になるとの夢を、真っすぐに育んでいった。

オーストラリア・クイーンズランド州のU-15チームに選ばれた。多くのプロラグビー選手を輩出しているアングリカン・チャーチ・グラマースクール在籍時には、オーストラリアのナショナルタレントスカッド(U20代表候補)に名を連ねた。

ニュージーランドのノースランドの一員として、NPCにも出場した。南半球でそのままキャリアアップを図ることも可能だったはずだが、【マイキー】は24歳で極東の島国へ向かう。16年4月に、近鉄ライナーズの新加入選手として発表された。

「プロフェッショナルになりたいという思いがあるなかで、自分は本当にプロとして生きていけるのかを知りたかった。あちらでは働きながらラグビーをしていたので、ラグビーだけに集中できる環境を求めて、日本に来ました」


日本はおろかアジアの国へ来ることが初めてだった。ラグビーでも日常生活でも、異なる価値観やルール、マナーやエチケットが列を成す。それが、嫌ではなかった。

「チャレンジングで大変でしたけれど、すごくエキサイティングな体験でもありました。ラグビーでも日常生活でも、僕自身がその環境を受け入れた時に、本当の意味で適応できるんじゃないかと思います」

19年にはサンウルブズに招集され、スーパーラグビーに出場した。そのプレーが目に留まり、20年はメルボルン・レベルズのLOとしてスーパーラグビーに参戦した。

21年からは所属先を変え、リコーブラックラムズ東京のジャージを着ることとなった。24-25シーズンにはレギュラーシーズン全18試合にフルタイム出場し、7つのトライをあげた。ラインアウト成功のスタッツは、リーグ最多を数えた。




「日本で勝ったことのないチームが、僕にはふたつあります。ひとつは埼玉WKで、もうひとつが東芝ブレイブルーパス東京です。英語の言い回しで『そこに勝てないならそこに入れ』というものがあって、25-26シーズンから東芝の一員になることができたのは、とても嬉しかったですね。本当にワクワクするようなラグビーのスタイルで、僕自身にも絶対にあうと思って見ていましたから」

チームの一員となってまず感じたのは、強固なまでの「コネクション」だった。人と人との「つながり」である。

「スタッフと選手、外国人と日本人、メンバーとメンバー外とか、あらゆるつながりが強い。全員が素晴らしい人間です」

日本でのキャリアは10年を超えた。日本ラグビーの進化を、肌で感じてきた。

「来日当初はとにかくスピード重視の印象でした。それはいまも変わりませんが、フィジカリティが追加されています。スーパーラグビーのレベルの強度を、感じるような試合もあります。相対的なレベルは、どんどん上がっていますね」



3月27日に34歳の誕生日を迎えた。ラグビー選手として年齢を重ねることの価値が、自覚できるようになってきた。

「この年齢になったからこそ分かること、経験を積んできたからこそ分かること、というものがあります。妻とは冗談を交えながら、『昔に戻ってこれをやっていたら良かったよなあ』なんて話をしますし、いまだからこそ分かることを25歳の自分に伝えたい、なんてことを考えたりもします。ただ、失敗から学ぶことがあり、経験を積んだからこそ理解できることがある。そういう意味では、ラグビーは人生と同じですね」

ラグビーが変わり、所属先が変わり、マイキーの気持ちもその時々で変化していった。渋みのある声で、ゆっくりと語る。

「正直に明かして、これだけ長く日本に居ることよりも、これだけ長くラグビーをやるとは思っていなかった。近鉄に来た当初は、1年契約でも十分ありがたい、と思ったものです。それがいま、リーグワンで連覇をした東芝のようなチームにいるわけですからね」

時計の針を戻すと、感謝の気持ちが沸き上がる。所属したチームのスタッフとチームメイトの、日常生活で関りを持った人たちの、一期一会で接してくれた人たちの優しさが、ずっしりとした重みを持って記憶にファイルされている。

「いまの自分の1番のモチベーションは、この国が自分にしてくれたことへの恩返しをしたい、ということです。そのために毎朝目を覚まして、クラブハウスへ来て、練習をしている。ベストの状態を維持することがいいプレーにつながり、周りの人たちに喜びを与えることになる、と信じています」




好きな日本語がある。「ジシンモッテ(自信持って)」だ。

「日本で最初に学んだ言葉のひとつです。娘が今年から小学校へ入学したのですが、学校へ行くことに不安そうだったときにも、日本語で『自信持って』と伝えました。自分自身にも言い聞かせてモチベーションを上げますし、自信を持つことはいいプレーにつながると信じています」

試合では手首にテープを巻く。その上に亡くなったばかりの祖母と、家族の名前を書く。さらに「Be him」と書き添える。

「胸を張ってグラウンドに立ち、自分はこのグラウンド上で一番のロックだと信じる。自分が自信を持ってプレーすることで、仲間にも自信を与えられる。与えられる人間になれと言う意味で、Be himと書いています」




26年2月に発表された日本代表候補メンバーに、マイキーはピックアップされた。東芝ブレイブルーパス東京での献身的かつ安定したパフォーマンスが、評価につながったのだろう。

「個人的な目標としては、次のワールドカップは母国開催ですので、日本代表として出場したい気持ちがあります。ふたりの子どもも日本で生まれていますし、日本を代表してプレーすることは非常に光栄です。もしその機会が訪れたら、全力で奪い取りにいきます。もちろん、日本には優秀なロックがたくさんいることも理解しています。まず自分がやるべきこととして、東芝ブレイブルーパス東京のなかで自分がベストな状態を保っていくことが、すべての大前提です」

落ち着きのある声に、深みが加わる。母国を離れて過ごす10年間は、マイキーの生きる力を逞しく、しやなかにしたのだろう。

「僕は運に恵まれています」と謙遜するが、無為な時間を過ごす人間に幸運は訪れない。痛みに耐え、困難に立ち向かい、穏やかで機知に富むマイキーは、自らの知恵と才覚でラグビー選手としてのキャリアを、家族と過ごす人生を、これからも豊かにしていくのだ。



(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)



いよいよノックアウトステージのプレーオフが始まります。
東芝ブレイブルーパス東京は、5/24(日)14:30より秩父宮ラグビー場にて、リーグ戦3位のクボタスピアーズ船橋・東京ベイと対戦します。

会場で皆さまの絶大なる応援をお願いいたします!

関連リンク

LINK

パートナー

PARTNER

このページのトップへ