【物語りVol.192】WTB ティージェイ・クラーク



ティージェイ・クラークは25-26シーズンの新戦力として、25年10月に追加での新加入が発表された。プレシーズン途中からの合流となった。

「ニュージーランド協会との契約が10月まであり、NPCのチームでもプレーしていたので、すべてが終わるまでは来日できなかったのです。日本に来ることへの迷いはなかったです。日本のラグビーはスピーディで良く走る。自分に合っていると感じていたし、今回のチャンスを見送ったら次は数年待たなければならないかもしれない。オファーを見送るという選択肢はなかったですね」




S愛知に所属するチャンス・ペニは従弟にあたる。19年から日本でプレーする彼のアドバイスも、ティージェイの背中をプッシュした。

「日本人は誰もが優しくて、日本は安全ですごく過ごしやすい。ストレスフリーでラグビーに取り組める環境と聞きました。彼は日野RDにいたので、府中がどんな街なのかも知っていました。生活しやすいよ、と教えてくれましたよ」

東芝ブレイブルーパス東京というチームについては、OBのコーリー・ジェーン、バーナード・アプトンから話を聞くことができた。彼らの言葉もまた、ポジティブなイメージを膨らませてくれた。

「すごくいい人間が揃っていて、いいカルチャーを持ったチームだ、と。彼らの話を聞いて、このチームの一員になるのがさらに楽しみになりました」



チームに合流したティージェイは、彼らの言葉を全身で感じ取る。「チームにはすぐに適応できました」と笑みをこぼす。

「ヘッドコーチのトディは選手として素晴らしいキャリアを築き、ヘッドコーチとしてもみなさんご存じのとおり素晴らしい実績を残しています。リッチー・モウンガは明らかな違いを生み出す選手です。クルセイダーズでもずっと勝ち続けてきて、チームに対して強い影響力を持っています。リーチ マイケルは世界に対してインパクトを残してきた選手です。15年のラグビーW杯で南アフリカに勝った試合は、世界中の人たちをインスパイアしたのでは。セタ(・タマニバル)やボビー(ロブ・トンプソン)からも学ぶことがありますし、リーダーの(佐々木)剛さんや(眞野)泰地さんらも、僕がチームに馴染む手助けをしてくれています」



25-26シーズンの開幕節から出場し、2節からは11番のジャージを着た。決定力の高いランナーとして3節の横浜E戦で初トライを決め、翌節の相模原DB戦ではハットトリックを達成する。5節の浦安D戦でも先制トライをゲットした。

しかし、6節のS東京ベイ戦で肩を負傷してしまう。25-26シーズンの残り試合は、スタンドから観戦することを余儀なくされたのだった。

「新しい環境に来て、ようやくリズムに乗ってきた感覚がありました。そのタイミングでケガをしてしまって、正直すごく残念でした。ただ、ラグビーをしている以上、ケガは避けられないものでもあり、悔やんでもしかたがない。その時々で自分ができることにフォーカスして、より強くなってチームに戻るためにリハビリなどに励んでいきました」



生まれ故郷のチャタム島は、ニュージーランドの東方約800キロに位置する。人口650人ほどの小さな集落だ。雄大な自然に囲まれて、「人生の最初の8年間はダイビング、釣り、狩りをして、自転車で島内を走り回っていた」という。「12年まで電波が通っていなかったからね。携帯電話も使えないから、それ以外にできることがなかったんですよ」と笑う。

それからもうひとつ、ラグビーが日常に溶け込んでいた。

「ラグビーのコミュニティがあって、兄がやっていたので僕も3歳から始めました」

9歳でオーストラリアへ移住し、13人制のラグビーリーグにのめり込んだ。その後はニュージーランド・ウェリントンへ住まいを移し、15人制のラグビー選手となる。NPCのウェリントンで印象的なパフォーマンスを見せると、24年11月にスーパーラグビーのハリケーンズとの契約にこぎ着けたのだった。

「オーストラリアからシドニーへ戻ったのが、ラグビー選手としての一番の転機になりましたね。13人制から15人制へ転向したわけですから。いまでも13人制は好きですけれど、15人制のほうがもっと楽しいかな」



ティージェイについて外国のメディアに聞かれたモウンガは、「彼は大きな才能で、技術に優れている。まだ若いけれど、ラグビーを良く理解している。素晴らしい補強です」と、リーグ戦開幕後の活躍を確信するように話していた。

ティージェイ自身もチームに長く貢献したい、と考えている。東芝ブレイブルーパス東京で、しっかりとしたキャリアを築きたいと願う。

「このチームが大好きですし、府中はとても住みやすい。同期の岡村優太が、街を案内してくれています。食べものもまったく問題なくて。ストレスを感じることなくラグビーに集中できているので、できるだけ長く日本でプレーしたいと思っています」

プロフェッショナルのラグビー選手になることは、子どもの頃からの夢であり目標だった。「スーパーラグビーの試合も、テレビで観ていましたしね。それがこうして叶ったのは、すごく感慨深いです」と言う。

「自分だけでなく家族もラグビーをやっていましたし、チャタム島ではラグビーのコミュニティがみんなをひとつにしていました。ラグビーはいつも自分の近くにあり、欠かせないものであり、それはこれからも変わらないでしょう」

ケガで戦列を離れている間も、「チームに対して何ができるか」を自らに問いかけていった。試合に出られない悔しさや歯がゆさを心のなかでろ過して、ティージェイは「強い自分」を追い求めていく。


(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)



【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
・物語り一覧はこちら

関連リンク

LINK

パートナー

PARTNER

このページのトップへ