【物語りVol.201】唯一無二のふたつの魂~森太志(後編)

自身の記憶に刻まれた試合として、森太志はあの試合もあげた。
22年5月21日に行なわれた、東京SG戦である。
リーグワン初年度にレギュラーシーズン4位に食い込んだ東芝ブレイブルーパス東京は、プレーオフトーナメント準決勝でレギュラーシーズン1位の東京SGと激突する。24対30のスコアで迎えた後半24分、森は橋本大吾に代わって投入された。
ところが、ラインアウトのスローワーで、ノットストレートやダブルモーションの反則を繰り返してしまう。チームは反撃の好機を逃すこととなり、スコアを縮められずに敗れたのだった。

東京SG戦の翌週、チームはプレーオフトーナメント3位決定戦に挑む。森は2番を与えられた。トディことトッド・ブラックアダーHCはこの起用について、「彼にとって最善のことで、チームにとってもそうするべきだと判断しました。彼に『自分たちは信じている』と伝えたかった。それがチームのつながりでは大事です。誰だってミスをすることはあり、我々はいつもお互いに助け合う考えでやっています」と話した。
森は61分までプレーした。大内真と交代すると、スタンドから拍手が降り注いだ。チームメイトからも、その奮闘を讃えられた。労いの思いをこめて肩を叩かれ、チームメイトが差し出す手を握り返した。
自然と涙がこぼれた。目頭を押さえてもこぼれて、止まらなかった。
「準決勝から3位決定戦までの間に、周りの選手が励ましの言葉をかけてくれたり、あえて何も言わずにいてくれたり、トディが試合で使ってくれたり……あの数週間を経験したことで、チームに対してできることをホントの意味でしっかりやらなきゃいけない、という思いを改めて強く持つようになりました」

森は紛れもないチームマンである。175センチ、103キロの鍛え上げられた肉体には、東芝ブレイブルーパス東京への「愛」が何層にも折り重なっている。
「あのサントリー戦を経験したことで、スタートのメンバーに入っても、リザーブでも、メンバー外でも、チームのためにできることをホントに、全力でやらなきゃいけないと、考えられるようになっていきました。土曜日へ向けた1週間だけ頑張る、というのではダメなんですよね。チームに貢献するためには、どんな基準を持って日々を過ごしていかなければならないのか。その基準というものに、あの試合で気づかされました」
22-23シーズンは、出場機会を得られなかった。
23-24シーズンは、リザーブで2試合に出場した。チームは14シーズンぶりの日本一に輝いた。
「ここ数シーズンはつねに、『このシーズンで終わってもいい』という気持ちでやっていました。23-24シーズンはリザーブで2試合出られたし、メンバー外のK9の試合もそれなりにあって、『やっぱりラグビーって楽しいな』と思うこともできて。(リーチ・)マイケルがキャプテンとして優勝したことで、同期みんながホッとしたんじゃないかなあ。彼が一度も日本一になっていないのは、どう考えてもおかしいですからね」

2連覇を達成した24-25シーズンは、公式戦に1試合も出場していない。勝気な気性が前に出ていた20代前半当時なら、悔しさをコントロールしきれなかったかもしれない。
それがどうだろう。キャップを刻むことはなくとも、充実感に溢れる日々を過ごすことができた。
「試合に出ていないから、もちろん悔しさはあるんです。でも、そのシーズンは全試合でバックアップメンバーに入って。バックアップメンバーという立場は、若いころはただただ悔しいものだったんですけど、誇りを持つことができていました。『メンバーにもし何があったら、太志がいくんだよ』と言われている、というとらえかたができていました。その立場をつかむためにも競争があり、いい競争ができたシーズンでした。バックアップメンバーとかK9は、やっぱり難しい立ち位置だと思うんですけれど、チーム内にバックアップメンバーをまず取らなきゃという空気が生まれていました。自分の取り組みにも、誇りを持てるシーズンでした」

25-26シーズンも、出場機会をつかむことはできなかった。それでも、スタッフの決定を心から受け入れて、自らに課せられるタスクに忠実であり続けた。どんな役割にも、責任感と使命感を持って取り組んだ。チームのために必死に汗を流すことは、森にとって無上の喜びだった。
チームの勝利には心から歓喜し、敗戦を自分事として受け止めた。ひとりになれば、グラウンドに立てない悔しさを噛み締めた。また明日から頑張ろうと、自らを奮い立たせた。東芝ブレイブルーパス東京のために、ありったけの情熱を燃やし続けてきた。
「僕は東芝ブレイブルーパス東京という魅力ある男たちの集団に、心の底から惚れこんできました。なので、このチームがもし野球チームなら野球をやっていたし、バスケットボールのチームならバスケットボールをやっていたと思うんです。僕のなかではまず東芝ブレイブルーパス東京というチームがあって、その東芝ブレイブルーパス東京で大好きなラグビーをすることに、何よりも大きな喜びを感じることができたんです。このチームで15年もキャリアを重ねることができて、ホントに幸せだったなと思います」

スパイクを置いた森は、ラグビーとどのように関わっていくのだろう。
それはもう、と即答する。
「ONE LUPUSの一員です」
東芝ブレイブルーパス東京の熱狂的なファンとして、リーグワンの試合へ足を運ぶ。愛するチームを、観客として応援する。いまから、胸が躍る。表情が和らぐ。
「25-26シーズンにアーリーエントリーで入ってきた選手たちは、僕の15歳下になります。ということは、一緒にやった選手が少なくとも10数年は頑張ってくれるでしょう。そういう選手たちがリーグワンで活躍してくれる姿を、妻と娘たちと一緒にスタジアムで観るのが楽しみです」
東芝ブレイブルーパス東京のスタッフには、多くのOBが名を連ねている。将来的にそうした選択をする可能性は、あるのだろうか。
森は表情を引き締めた。これまでとは違う種類の使命感が、その胸に宿っている。
「自分が15年も夢のような時間を過ごせたのは、この府中事業所の方々の理解とサポートがあって、OBのみなさんがそういう道を作ってくれたおかげだと思うんです。だとすれば、いまの自分がやるべきことは、これから夢のような時間を過ごしていく選手たちが、思いきりラグビーができるようにすることです。自分の職場で頑張ることが一番のサポートになる、いまはそういう気持ちですね」

これからキャリアを築いていく選手たちのために、自分ができることに誠意を持って取り組む。利他の心を持つ森らしい。
挫けそうになったことがある。躓いたことがある。長期離脱を強いられるケガをしたこともあった。自分ひとりでは乗り越えられなかった苦難があり、どんなときでも自分を支えてくれるチームメイトがいて、スタッフがいて、職場の先輩や同僚がいて、OBたちがいた。そして、応援してくれるファンがいた。
だから、頑張ることができた。立ち上がることができた。
「15年間も大好きなこのチームで、大好きなラグビーに夢中になれたのは、やっぱり応援してくれるONE LUPUSのみなさんがいたからです。ラグビーというスポーツを、応援してくれる人たちがいたからです。みなさんには、これからスタンドで会うことになると思いますので、その時に直接、『これまでありがとうございました』とお伝えしたいです」
周囲を明るく照らすあの笑顔は、これからも東芝ブレイブルーパス東京のそばにある。
(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)





























































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