【物語りVol.202】唯一無二のふたつの魂~豊島翔平(前編)

彼らの存在は、チームメイトを優しく包み込んだ。
彼らの存在は、チームメイトに心の落ち着きをもたらした。
彼らの存在は、チームメイトを勇気づけた。
彼らの存在は、チームメイトに責任感を植え付けた。
彼らの存在は、チームメイトに忠誠心を呼び覚ました。
彼らの存在は、チームメイトにジャージーをまとう誇りを伝えた。
在籍年数最長の世代として東芝ブレイブルーパス東京を支えてきた、彼ら──豊島翔平と森太志が、2025-26シーズンを最後に勇退した。チームを愛し、チームに愛され、ONE LUPUSにも愛されたふたつの足跡を、彼ら自身の言葉とともに振り返る。
豊島翔平の胸を衝いたのは、納得感でも達成感でもなく、紛れもない悔しさだった。
「気持ち的にも身体的にも、まだまだできると思っていて、もっとうまくなりたいという向上心がありました。なので、率直に悔しいっていう思いが強かったですね」
クラブから勇退を告げられた時点で、25-26シーズンはまだ終わっていなかった。豊島は26年2月7日の7節で初めてメンバー入りし、8節、9節、11節、12節、16節に出場した。戦力としてプレーできているとの自負を抱くことは、客観的に見ても間違っていなかったはずである。それゆえに悔しさが胸を叩き、歯がゆさ、やるせなさ、悲しさ、切なさといった感情が追いかけてきた。
クラブとの話し合いが終わると、豊島はリーチ マイケルと小川高廣に連絡した。彼らには自分の言葉で、すぐに伝えたかった。
「高廣は、『翔平さんがいなくなっちゃうんだ……』と。マイケルは『そうなんだ。まあでも、引退しても楽しいことが絶対にあるから』って」
東海大学からともにプレーしてきた盟友リーチたちの反応は、豊島にとって意外なものだった。「何だかちょっと、軽いな」と感じた。しかし時間が経つに連れて、その言葉がゆっくりと心に染み込んでいく。
「マイケルは『このチームの選手としてラグビーができなくなるけれど、死ぬわけじゃない』みたいなことも言ってくれて。まあ、そうだよなあ、と。救われたというか、助けられたというか、そんな言葉でしたね」

帰宅した豊島は、妻に伝えた。
「内心はショックを受けていたのかもしれないですけど、『そうっ』ていう感じで。いつもとそんなに変わらない反応だったかなあ。『長い間お疲れさまでした、シーズンの最後までやりきろうね』と言ってくれて」
6歳の娘と4歳の息子には、その日は言えなかった。
「結果的に現役最後の試合になったキヤノン戦に、家族みんなが来てくれていたんですよね。そういうこともあって、クラブから言われたその日には言えず、数日後の夕飯のときに……」
父親が何か大切なことを伝えようとしていて、ためらっていることを、娘は敏感に察した。もうラグビー選手ではなくなるんだよと明かすと、娘は「眠いから」と言って泣いた。涙の理由は、おそらく、違ったのだろう。
「強がっていたのかも、しれませんね。とにかく、何かは伝わったんだな、と思いました」
4歳の息子に、「引退」の2文字は難しい。「お父さんはもう、ジャージーを着て試合はしないんだ」と話しても、驚きや戸惑いを見せることはなかった。

プレーオフトーナメント準々決勝のS東京ベイ戦に敗れ、東芝ブレイブルーパス東京の25-26シーズンは幕を閉じた。最後はメンバー外の立場で、豊島の現役生活にピリオドが打たれた。
「勝てば準決勝でメンバーに入るチャンスがあるなかで、スコア的に敗色濃厚となって。ああっ、これで競技人生が終わるんだなと思ったんですけど、それは考えちゃいけないと戒める自分もいて。なぜ考えちゃいけないかというと、勇退はあくまでも僕個人の問題で、それよりもチームが負けた事実のほうが大きいわけです。今シーズンは勝てなかった、負けてしまったという気持ちを、チームの一員として共有したいと思っていた部分はありました」
チームの一員であるべきだ、との真摯な思いが身体を貫いていた。同時に、感傷的な気持ちを抑えるのは難しかった。
「今シーズンは勝てなかったという悔しい思いと、競技人生が終わるという現実があって、マイケルとか(松永)拓朗とか、頑張ってくれた彼らの表情をスタンドから観ていたら、たくさんの感情が重なって思わず………恥ずかしい話ですが」
S東京ベイとの試合を終えた夜、チーム全体に勇退の事実を告げた。
「クラブ側が選手に勇退を告げるタイミングは、選手なら分かっています。僕がそうなることも、うっすらと伝わっていた気がしますが、みんなに正式に話したのはその夜でした。マイケル、森、三上の3人を除けばみんな後輩ですし、お酒を吞みながらだったこともあってか、『まだまだできますよ』とか『もっと一緒にやりたかったです』と言ってくれました」
11年に東芝ブレイブルーパス東京に加入してから、シーズンが終わるたびに勇退選手を送り出してきた。やりきったと話した選手がいれば、熱い思いを抱えたままクラブハウスを去る選手もいた。
「僕自身もまだラグビーをやりたい、という欲求があるなかでの引退となりました。競技者でなくなるというのは、率直に言ってさびしいです。チームメイトとハードな練習をして、このチームのジャージーを着て試合に出たいというのが、ラグビー選手としての自分の生き甲斐でしたから。でも、もう決まったことです。トディ(トッド・ブラックアダーHC)は来季も戦力として考えていたと聞いて、必要とされながら現役を退くのは幸せなことかな、と。いずれにしても、引き際ではすっきりした顔を見せたいと思っていました」

肉体的な衰えは感じていない。モチベーションは枯渇していない。向上心にみなぎってもいる。現役を続けることを最優先に考えるのなら、新たなチームを探すという選択肢もあっただろう。
「それはもう、一切なかったです」と、豊島は即答した。迷いのない響きがあった。
「考えかたが古いかもしれないですけれど、15年間このチームにいた自分が他のジャージーを着るというのは、イメージができなかったですね」
豊島は社員選手である。オフシーズンの間は、社業へ軸足が移る。25-26シーズンを終えたある日、仕事から帰宅した彼に息子が言った。
「パパ、勝った?」
試合の日はもちろん練習から帰宅したときでも、息子は「勝った? 負けた?」と聞いてくる。父と息子の日常に織り込まれた、ささやかでありながらぬくもりのあるやり取りだ。
「ラグビー選手のパパが、息子のなかにはまだ残っているんだなって、そのときはちょっと胸にグサッときましたね。だからといって、僕が暗い感じになると息子にも伝わっちゃうので、もうラグビーをすることはないけど、また一緒に応援に行こうねって。そうしたら、『行こう、行こう』と言ってくれました」
現実を正面から受け入れる実直さと、時間が経つほどに色を濃くする憂愁が、豊島の胸を何度も打つ。いまでも、打つ。
そして、彼は新たな一歩を踏み出している。
「2年後、3年後に、この年齢で、このタイミングで辞めてよかったと思えるように、何か違う形でラグビーを楽しめるように、関われるようにしたいなって。いまは悔しさよりも、そっちの思いが強くなってきていますね」
(以下、後編へ続く)





























































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