【道標Vol.10】鬼澤 淳




15人という人数が、ラグビーのおもしろさを深くしていると思う。
 球技の中でもっとも多い数の選手がピッチに立ち、それぞれ特性のあるいろんなポジションに、大小さまざまな体つき、性格の違う選手たちが就く。
 まるで、社会の縮図ではないか。

 東芝ブレイブルーパス東京がまだ東芝府中ラグビー部だった頃、初めて全国社会人大会で頂点に立ったのは第40回大会、1987年度のことだった。
 その大会で東芝府中は、1回戦で優勝候補の神戸製鋼に16-15と競り勝つと、勢いに乗って勝ち進む。NEC、ワールドを倒してファイナリストとなったチームは、決勝でもトヨタ自動車に19-7と快勝し、悲願の初優勝をつかんだ。

 トヨタを1トライだけに抑え、2トライを奪った決勝戦の舞台は花園ラグビー場。東芝府中の挙げたトライの一つを決めたのがウイング、背番号14の鬼澤淳さんだった。
 快足で鳴らした好ランナーは、現在、ブレイブルーパスの活動を支えるパートナー企業の一つ、三興電気株式会社の代表取締役を務める。

「昨季(2023-24シーズン)は、ホストゲームは全部観戦に行きました。ビジターもテレビ中継で見ました」と話し、部の歴史を継承してくれている後輩たちがリーグワンを制したことを自分のことのように喜ぶ。

 バックス出身だけにウイングに目がいく。「ナイカブラが良かったし、桑山弟がずいぶん成長しましたよね」と話すと目尻が下がる。
 そして、「やっぱりモウンガは素晴らしいですね。チームとしてやっているラグビーのレベルが、すごく高いシーズンでしたよね」。

 ただ、バックス礼賛だけで終わらない。府中の空気を吸った者は知っている。
「外からはスマートなプレーや、華やかなシーンばかりが印象に残ると思いますが、やはり、その前にはフォワードの泥臭いプレーがあるんですよ。東芝は、昔からそう。そこは変わっていないように感じました」

 そして話は、冒頭のようなラグビーと組織の関係性につながった。
 頂点に立つチームは、みんなが同じゴールに向かっているからそれぞれの力が束ねられ、大きなエナジーを生むのだ。

「私はラグビーで多くのことを学びました。トップが、自分たちのやりたいラグビー、スタイルを描いて、それに向かって一人ひとりが動く。それは社会、会社でも同じです」
 ビジョンがあるから全体が動く。

 

昭和62年(1987)度の第40回社会人大会(初優勝)では、14番としてトライも挙げている。

 



鬼澤さんは現役引退後、営業職としても全力で駆け、結果を残して現在のポジションに就いた。
 ラグビージャージーでもビジネススーツでも成功体験を得た人の言葉には重みがある。

 埼玉県立川口高校でラグビーを始めた鬼澤さんは、帝京大を経て府中の住人となった。入社は1984年の春。大学で5年間プレーした後のことだった。
 大学4年時、就職活動がスムーズにいかない状況を見た当時の水上茂監督が「もう1年やらないか」と言ったことがきっかけだった。

「そのお陰で東芝に誘っていただきました。5年目は関東大学対抗戦で早稲田に(史上初めて)勝って、全国大学選手権にも出られた。それで、見つけてもらえた。当時から東芝はフォワードが強く、バックスにも戸嶋(秀夫)さんなど、強い人が多かったので、スピードに自信がある、私みたいな、タイプの違う選手に声がかかったと思っています」

 17時までしっかり仕事をして、その30分後から練習。職場でもグラウンドでも全力を尽くすのは自分だけでなく、当時、チーム全員の当たり前だった。
 練習が終われば寮に戻り、そこでみんなで杯を交わし、語って、チームの結束は高まっていった。

 フォワードの強さ同様、それもチームの伝統のひとつと言っていい。
 なかなか勝てなかったチームは、忸怩たる思いを重ねながら、その悔しさをみんなで共有し、着実に階段を昇っていった。
 そんな足取りをたどって入社から4年目につかんだのが、全国社会人大会初優勝だった。

 しかし、そのシーズンは初戴冠の喜びのあとに、続きがあったから忘れられない年になった。1987年度の日本選手権。当時は全国社会人大会の優勝チームと、全国大学選手権王者が、一発勝負で日本一を懸けた試合を戦っていた。
 社会人王者の東芝府中は1988年1月15日、満員の国立競技場で早大と戦った。

 その日のことをよく覚えている。
「ロッカールームからグラウンドに出た時、それまで味わったことのない雰囲気を感じたんですよ」
 6万人の大観衆の声援が自分たちを包んだ。
「そんな中で試合をしたことなんてありませんから、地に足がついていなかった。早稲田に合わせてプレーしてしまいました」
 16-22と敗れた。

 あの試合のことは、いまでも話題になることがあると笑う。
「日本選手権の直後にも仕事先で、応援に行ったのに負けたよねえとか、そんな話になることがありましたし、いまでも、ときどき話に出ることがあります」

 しかし、鬼澤さんは笑ってその話にのる。だって、多くの人の頭の中にいつまでも残っていることなんて滅多にない。
 あれだけの舞台に立てたこと、記憶に刻まれる試合の当事者だったことは誇りでしかない。胸を張って生きている。

 ラグビーから得たものが人生を豊かにしてくれていると感じているから、鬼澤さんは、これからもブレイブルーパスには「強くあってほしい」と願う。

「絶対に勝て、というのではなく、観る人、応援する人たちが、ワクワクするようなラグビーをしてほしい。そうやって勝つチームでいてほしいですね。それがラグビー界全体にもいい影響を与えると思いますし、社員選手、プロ選手が混在しているリーグを長く盛り上げると思うんです」

 この国のトップを走るチームは、自分たちだけのことを考えていればいい、というものではない。
 ラグビーを魅力あるものにするリーダーであってほしい。そんな願いと期待があるように聞こえた。




(文中敬称略)
(ライター:田村 一博)

 




【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「道標」
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プレーオフ準決勝、神戸S戦は、31-3で勝利し、6/1(日)に秩父宮にて行われる決勝戦に駒を進めることができました。

いよいよシーズン最終戦となる決勝戦となります。
皆さまの熱い応援で会場を赤く染めていただき、連覇に向けてともに戦いましょう!

 

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