【物語りVol.174】PR 小林 洋平



専修大学3年の夏に、左ひざのじん帯を断裂する大ケガを負った。リーグワン各チームのリクルートが熱を帯びていくタイミングで、グラウンドから強制的に離れることになってしまった。
「3年生ぐらいから就職活動も始まってきて、僕自身は卒業後もラグビーを続けたい、できれば強いチームでやりたい、という気持ちを抱くようになっていたところで……。それまで大きなケガをしたことはなく、手術をしたのも初めてでした。ケガをしてからしばらくは、何も考えられなかったですね」
 もう一度、ラグビーができるようになるのだろうか──。今日を生きることさえ息苦しく、思考が停止するような日々を過ごしていても、時計の針は止まらない。卒業後の人生設計は、考えておかなければならない。小林は就職活動を始めた。
「ラグビーとは関係なく、普通に就活をしました。でも、何かちょっと違うなあ、と。ラグビーを続けたいという思いが強くありました。リーグワンのディビジョン2のチームから声をかけてもらったのですが、大学の監督とは『すぐに決めるのではなく、もう少し待ってみよう』と話していました」
 そんな時だった。東芝ブレイブルーパス東京の藤井淳アシスタントGM兼採用から、大学の監督に連絡が入るのである。
「大学4年の春ごろに、プレーの動画を観たいと言われまして、編集してお送りしました。それでいい感触を持っていただいて、試合にも足を運んでもらいました」
 6月下旬の春季オープン戦から戦列に戻り、スクラムでの力強さ、機動力をアピールした。「伸びしろの大きさ」(藤井)も評価され、25年度の新加入が決定したのである。
「めちゃくちゃ嬉しかったです。東芝みたいな強いチームに自分が入るなんて、考えてもいなかったので。小さいころから試合を観ていて、憧れを抱くようなチームでしたから、ホントにびっくりしましたね」






4歳からラグビーを始めた。3学年上の兄・賢太が通っていたラグビースクールで、ボールを追いかけるようになった。
「他の競技に目が向くことはなかったですね。子どもの頃なので、ボールを持って走ったりすることが楽しかったんじゃないかなあと。母親に強制されたこともなく、ずっと楽しくて続けていきました」
 兵庫県西宮市出身だが、高校は東福岡を選んだ。兄が進んだ道を辿り、3年時には花園の舞台に立った。
「3年になっても、スタメンには入れませんでした。3年間を通して小さいケガが多かったというのはありますが、チームのレベルが高くてそこに自分が到達できなかった、ということです」
 それでも、潜在能力の高さはうかがえたのだろう。専修大学から声がかかった。1年からリザーブで出場機会を得たが、チームは関東大学リーグ戦で1部から2部へ降格してしまう。
「2部に落ちたのはもちろん残念でしたけど、1部で戦ったそのシーズンは明確な目標を持ちにくいところがありました。でも、翌年からは1部に復帰するというはっきりしたものが目の前にあって、チームみんなでそれに向かっていくことができた。それはすごく楽しかったですし、やり甲斐がありました」






ブレイブルーパス加入後は、チーム全体のレベルの高さを実感している。大学4年時の練習参加でも衝撃を受けたが、府中グラウンドで過ごすことが日常になった現在は、強さの裏側にたゆまぬ努力があることを知り、自身もひたむきさや献身性を磨く。
「練習参加をしたときからすごいなと感じたんですけど、それ以上にすごいです。チームの誰もがすごい、としか言いようがないぐらいです。自分と同じプロップの選手は、やっぱり違います。(木村)星南さんはオフの日もクラブハウスに来て、自分で色々とやったりしていますし。先輩方から毎日教えてもらいながら練習をして、厳しいけれど楽しい。充実感があります」
 小林は母子家庭で育った。兄も自身もラグビーで人生を切り開いてきたが、高校も大学も地元から離れて過ごしている。
「ラグビーで推薦をもらっても、地元の高校へ行くよりは経済的な負担をかけてきたと思います。大学も関東でしたし」
 就職活動をしながらリーグワンのクラブからのオファーを待っていた当時、母親は「就職浪人をしてもいいんじゃないの」と言ってくれた。言葉にできない思いを汲み取ってくれる心配りが、ざわつきがちな気持ちを落ち着かせてくれた。
「リーグワンの試合に出て、活躍をして、母に喜んでもらいたい気持ちはあります。でも、シンプルにうまくなりたい、試合に出たい、というのが自分のモチベーションです」





兄の賢太は東京SGに所属している。府中ダービーでの兄弟対決を期待するファンも多いはずだが、小林は真っすぐに自分を見つめる。
「まずはとにかく、自分が試合に出ることしか考えていません。そのために、もっともっとレベルアップしないといけないです」
 ブレイブルーパスの一員となるまでの足跡を振り返る小林は、「自分は運が良かったです」と言う。「周りの人にも恵まれてきました」とも話す。
そのとおり、なのかもしれない。ただ、運は引き寄せるものでもある。自分の日常を見直したり、誰かの言葉を誠実に受け止めたりしながら、意欲にあふれた日々を過ごす。前向きで、柔軟で、自分の限界を決めない姿勢が、人生を豊かにしていくのだろう。
 洋平という名前には、「太平洋のように大きな人間になってほしい」との願いがこめられている。兄の賢太の「太」も、太平洋にちなんでいる。
 果たして小林は、活躍のフィールドをどこまで広げていくのか。
 雨に降られても、風に叩かれても、一歩ずつ前へ進んでいくチームカルチャーを体現していけば、彼の前には雄大な景色が広がっていくはずだ。まさしく、太平洋のような──。


(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)





次戦のホストゲームは、3/22(日)14:30より秩父宮ラグビー場にて、三重ホンダヒートと対戦します。
ONE LUPUSの皆さまのご来場をお待ちしております!!

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