【物語りVol.183】近藤 信一 アスレティックトレーナー



妻のひと言が、啓示の役割を果たした。

「一般の患者さんとスポーツ選手で、僕の接し方が違うように見えたそうで。本当は戻りたいんじゃないの、と言われたんです」

野球に打ち込んだ小学生年代で、トレーナーという職業を意識した。「スポーツが好きで仕事になればいいなあと思いながら、肘や肩を痛めたことがきっかけでトレーナーという仕事を知りまして」

福島県の高校卒業後は、仙台大学へ進んだ。東北で唯一の体育大学である。

「最初は専門学校へ行こうと考えていたのですが、仙台大学から僕の高校へ教育実習に来た方が、トレーナーを目ざすならウチの大学へ行ったほうがいい、とアドバイスをしてくれました」

トレーナーになるための学びを得る、という目的ははっきりしていた。ただ、どうやって知識を得ていくのかまでは、当然のことながら新入生には見えていない。

「たまたま仲良くなった先輩から、滝田さんというすごい人がいると聞いたんです。4年生ですから単位もほとんど取っていて、あまり学校には来ていないとのことだったのですが、いつ来るのかを聞いて会いに行ったんです」

1年の近藤です、よろしくお願いします。
ああ、話は聞いているよ。
シンプルな挨拶から始まった出会いは、即席の講習会となった。





「お昼休みだったんですが、食事もしないでずっと教えてもらいました。そこから、ことあるごとに気にかけてもらいまして」

仙台大学を卒業すると、東京の日本鍼灸理療専門学校へ進む。尊敬する先輩の後を追いかけた。専門学校は3年制であり、滝田とは入れ違いになってしまう。それでも、同じ学び舎で知識を得たいという学習意欲が強かった。

専門学校3年時に、滝田から連絡を受けた。東芝ブレイブルーパス東京に、インターンとして通うことになった。

「トップリーグの13-14シーズンで、いまのスタッフだと(藤井)淳さん、タケさん(宇薄岳央)、TTさん(高木貴裕)、森田、事業部の望月さん、マッスル(増田慶介)がいました。小川高廣が1年目のシーズンでした」

仙台大学では、アメリカンフットボール部のトレーナーとして活動した。大学4年時には恩師の橋渡しで、神奈川県の慶應義塾高校ラグビー部をサポートした。花園にも帯同した。その後は慶應義塾高校・大学のトレーナーとして活動した。

「そういう経験はありましたが、東芝はラグビーを職業としている選手たちの集団ですし、慶應と違って自分より年上の選手が多い。すごく良くしてもらいながらも、色々な場面で難しさを感じました」

難しさのすぐそばには、やり甲斐がある。近藤はトレーナーの道を進みたいとの思いを強くするが、専門学校卒業後は違う道へ踏み出す。神奈川県小田原市の治療院で、鍼灸の修行を積んだ。

それにはもちろん、理由がある。人生を左右するほどの理由が。

「父親が神経痛を患ったので、治療をしたいと思いまして。小田原で修業をしながら、実家のある福島に月1回ぐらいのペースで通いました」





治療院での修業は、5年をひと区切りする。近藤は地元へ戻って開業した。地域に根づいた治療院として、患者さんと顔の見える付き合いを重ねてきた。

「開業から7年が経って、患者さんもついてくれるようになっていました。そんなある日に、妻から本当は戻りたいんじゃないの、と言われたんです」

トレーナーとして実績がほとんどない自分が、トップレベルのチームで働く。それが難しいのは容易に想像がつく。

だからといって、このまま諦めていいのか。後悔しないのか。
治療院で受付をしている妻は、東京へ行くなら違う仕事を探すと言ってくれた。

父はすっかり健康体になっている。「自分の人生なんだから、好きなようにしたほうがいい」との言葉をもらった。

近藤は88年生まれだ。もはや若手ではない。チャレンジするなら、早いほうがいい。

「1年ほど勉強をして、トレーナーの資格を取りました。そのうえで、滝田さんに連絡をしたんです」

スポーツの現場で働きたいんですが、どこか紹介していただけませんでしょうか。
分かった、ちょっと当たってみる。
短いやり取りで、意思の疎通がはかられた。

「ちょうど東芝ブレイブルーパス東京の前任者が抜けるとのことで、面接を受けさせてもらいました。そしていま、このチームにいることができています。僕の年齢で転職というのは、普通に考えたらチャンスは多くない。ましてや、トレーナーとしての経験はそこまで多くない。そんな自分を採ってくれたので、何としてもこのチームに貢献したいという気持ちしかありません。それは、誰にも負けないつもりです」





リーグワン初の2連覇を達成し、3連覇へ向かっていくチームのスタッフになる──大きな喜びとともに、プレッシャーに襲われてもおかしくない。

近藤は「重圧は感じません」と、穏やかな表情で語る。

「東芝ブレイブルーパス東京というすごいチームに属していますが、すごいのは2連覇をした選手たちです。僕は任された仕事をいかに徹底してやれるか、ということだけを考えています。主役はあくまでも選手なので、いかにサポートできるかですね」

チーム最年長のリーチ マイケル、三上正貴、森太志、豊島翔平が同学年だ。インターン当時と違って、年下の選手に囲まれる。

「リーグワンの他のチームでトレーナーをやっていたとか、他の競技のチームで仕事をしていたわけではないので、選手からすると何者か分からない存在だったと思うんです。それでもフランクに話しかけてくれたりする。実習生当時も感じましたけれど、本当に温かくていいチームだな、と思いますね」

東芝ブレイブルーパス東京の一員である責任を自覚しつつ、責任の重さや大きさを過度に意識することなく、力まずに、肩の力を抜いて。それでいて、仕事の細部にまで眼を向ける。心の明度を保って、選手たちに接していく。

「自分にチャンスを与えてくれた東芝に、ただただ貢献したい。できるだけ長く、1日でも長くこのチームで働きたいというのが、いまの僕の願いです」

近藤信一の小さな積み重ねは、間違いなくチームの支えとなっている。


(文中敬称略)
(ライター・戸塚啓)


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