【物語りVol.196】德永祥尭、363日ぶりの復帰から紡ぐ新章(前編)



■「今日の負けを、ただの負けで終わらせないように」

試合終了を告げるホーンが、秩父宮ラグビー場に鳴り響いた。プレーが途切れたら、その瞬間にゲームは終わる。

相手のキックパスを石岡玲英が確保し、自陣から攻撃を仕掛けていく。リッチー・モウンガが大きく、大きく、ゲインする。敵陣深くで攻撃を継続しようとしたところで、東芝ブレイブルーパス東京の選手の手元から、ボールがこぼれ落ちた。プレーが、途切れた。

白いジャージーを着た選手たちが、動きを止める。ある者は立ち尽くし、ある者は片膝をつき、ある者はピッチに座り込んだ。

26年5月24日に行なわれたNTTジャパンラグビーリーグワン2025-26プレーオフトーナメント準々決勝、対S東京ベイ戦で、東芝ブレイブルーパス東京は3対26で敗れた。

德永祥尭はヘッドギアを外し、チームメイトと握手を交わした。S東京ベイの選手とも、互いの奮闘を讃え合う。試合後のいつもの光景が、今日ばかりは特別な感情を呼び覚ます。

德永の胸を、指すような痛みが襲っている。後半11分のプレーが、脳裏をよぎる。

自陣トライエリア前を狙ってきたキックパスを確保し、そのままプレーを継続する。相手選手にタッチライン外で押し出されそうになるが、必死にボールをつなごうとした。しかし、トライエリアにこぼれたボールを、相手選手に拾われた。3対14から3対19へ、点差を拡げられてしまった。

「3対14と3対19では、チームにかかるプレッシャーが全然違う。僕ひとりの判断ミスで、チームを苦しめてしまったのは大きな後悔です。プレッシャーがかかったときに同じ判断が、いつもできている判断ができなくなってしまうというのは、自分の課題で。ああいうときにどうすればいいのかを、勝って学べたら一番良かったのですが……」

身体の芯が痺れるような悔しさとやるせなさが、行き場を求めて暴れ出してもおかしくない。チームメイトも德永も、それぐらいこの試合に思いを込めていた。

それでも、徳永は自らの思いを丁寧に言葉にしていく。

「今日の負けを、ただの負けで終わらせないようにしなければ」



■「後ろを向いても何もない」

何の前触れもなく、悲劇は襲ってきた。

桜前線が府中にやってきた25年4月、德永はラインアウトの練習に入っていた。

「その週はリザーブで、(リーチ・)マイケルさんと代わってラインアウトディフェンスで相手に合わせて飛んだんです」

着地した瞬間に、右膝に痛みが走った。「過伸展が起きて、後十字靭帯が伸びたのかな」という違和感を覚えた。過伸展とは、関節が過度に伸びてしまう状態だ。

ひとまず練習から外れたものの、しばらくして戻った。またラインアウトの練習へ加わった。

「次に飛んだときに、膝がずれて。これは絶対に続けられないと思って、その日はもう止めました。まさか大きなケガになるとなんて、思ってもいなかったんですけど」

自宅へ戻り安静にして、翌日に病院を訪れた。MRI検査の結果、右膝の前十字靭帯と半月板を断裂している、と告げられた。全治まで8か月とも、10カ月とも、1年とも言われる。1年以上かかるケースもある。

「24-25シーズンは自分なりにいいパフォーマンスが出来ていて、リザーブからの時間が多かったけれどいいプレーを出せていました。直前の三重H戦はスタートで出て、フィーリングがすごく良かった。もう一回やってやろうっていう気持ちがあったなかで、ケガをしてしまって」

フィジカルバトルで膝に衝撃を受けたとかいう理由なら、どうにかして自分を納得させることもできた。そうでは、ない。「普段どおりの練習」で大ケガを負ったことが、德永の心を、魂を激しく揺さぶった。

まさか、自分が。

同期の山本浩輝が、前十字靭帯を3度も断裂している。山本の日常に触れていた德永は、復帰までの道のりがどれほど険しいものかを想像できる。

なんで、いま……。

ネガティブな思いに、心が侵食されていく。前向きな気持ちを、引き剥がれていった。


手術は2回に分けて行なわれた。主治医からは「そうしたほうが、治りは早い」と説明された。断る理由はない。4月7日に1回目の手術に臨んだ。

術後から10日は入院となる。12日の静岡BR戦は、病室で配信を観た。26対56で試合が終わると、「自分がおったら、どんだけできたんかな」という思いが沸き上がった。

2度目の手術はプレーオフ決勝の前だった。準決勝で右手を骨折したリッチー・モウンガが、德永と同じ病院へ治療にやってきた。

「リッチーに『大丈夫っ?』て聞いたら、『問題ない、決勝戦ではプレーするよ』って」

その言葉どおりに、モウンガは決勝戦のグラウンドに立ち、チームを連覇へ導く。德永は試合後のセレモニーでチームメイトが雄叫びをあげる姿を、眩しく見つめたのだった。

「寂しい気持ちは、やっぱりありました。23-24シーズンのプレーオフは準決勝、決勝と試合に出ましたけど、合計で20分ぐらいしか出られなかった。チームが連覇を達成したのはもちろん嬉しくて、個人的には悔しい思いをしたという感じです。次のシーズンは3連覇を目ざすチームに加われるように頑張ろう、と思いました」

気持ちの切り替えかたとしては、自然であり当然である。ただ、すぐに「頑張ろう」と思えるものなのだろうか。小川高廣と長く共同キャプテンを担った立場を考えれば、歯がゆさ、もどかしさ、苛立ちといった感情にとらわれても、德永を責めることはできなかったはずだ。悔しさが無力感に変質してもおかしくない。

「いやあ、でも、後ろを向いても何もないって言いますしね」

シンプルでありながら最善の境地に立つのは、この34歳がグラウンドの内外で客観的な、俯瞰的な視点を持つことができるからなのだろう。感情に流されるよりもまず、論理的な思考を働かせることができるのだ。




最高の支えがある。家族の存在が、德永を前向きにさせている。

「ケガをしてすぐに、妻に電話したんです。『今シーズンはもう無理かもしれん』って伝えたら、『そうなんや。とにかく帰っておいで』って。そこから検査してオペをして、となるわけですが、週末の試合に行けなくなるから家族で外出したりすることになって」

ふたりの男の子が、德永の心の傷を癒した。特別な処方箋となってくれた。

「実は僕、3年連続でオペをして入院しているんです。なので、子どもたちも慣れているというか、車イスを押してくれたり、ちょっとふざけて一緒に載ったりして。妻も子どもふさぎ込むようなことはなく、普通に笑顔がありました。家族が暗くなるようなことはなく、また頑張ったらいいやんって。それは暖かっくて、ホントに」

2度の手術は、無事に成功した。心も波立っていない。

とはいえ、德永と彼の家族のポジティブな思いが、復帰へのプロセスにそのまま反映されるわけではない。ケガからの復帰は、リハビリが何よりも重要になる。薄紙を1枚ずつ、それも四隅をきれいに揃えて積み上げていくような作業に、德永は臨んでいくのだった。

(以下、後編へ続く)


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