【物語りVol.26】 WTB ジョネ・ナイカブラ

※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です

 思いがけない出会いが、ジョネ・ナイカブラの人生をダイナミックに動かした。
「ニュージーランドのオークランドで高校を卒業したあとに、摂南大学の河瀬監督(現総監督)が僕のチームの試合を観に来たんです。監督は自分じゃなくて他のフィジアンを観に来たそうですが、その彼より僕がいいプレーをしたので、僕を採ることを決めたそうです」
 スピード豊かなウイングのジョネは、7人制の高校ニュージーランド代表に選ばれていた。河瀬泰治監督の目に留まったのも驚きではないが、何しろ突然の勧誘である。しかも、フィジーからははるか遠い日本からの誘いだ。
ジョネはフィジーに住む家族に相談をした。
「チャンスがあるならつかみに行くべきだと、家族は言ってくれました。まさか日本でプレーすることになるなんて、考えてもいませんでした。でも、もし声をかけられなかったから、フィジーに帰るつもりでしたから、迷うことはなかったです」
 日本に関する知識はほとんどなく、日本語も理解できない。望郷の念に駆られたり、不安に襲われたりしてもおかしくなかったが、ジョネは異国の地でしなやかに過ごしていった。
「トンガ人の選手がふたりいたのですが、彼らの存在は大きかったです。ホームシックに関しては、家族と離れて生活することをニュージーランドで体験済みだったので、その時に比べればひどくなかったですね」

 来日2日後には、トップリーグの試合を観戦する。ジョネが視線を送るピッチの先では、東芝ブレイブルーパス東京の選手たちが躍動していた。
「摂南のバックスコーチが東京サントリーサンゴリアスでプレーしていた人で、その人がチケットを用意してくれたんです。みんなサントリーの旗を振って応援していたのですが、僕ひとりだけブレイブルーパスを応援していたんです」
 リーチ マイケルが、ジョネの心を奪っていた。母親がフィジー出身のリーチに、親近感を覚えた。
「彼がいたからブレイブルーパスを応援したんです。その時に、ブレイブルーパスでプレーできるチャンスがあったらいいな、もしそうなったらやってやるぞ、と思いました」
 ところが、度重なるケガに悩まされる。気持ちが沈みがちになった。「ブレイブルーパスに入りたい、という思いもだんだん忘れていった」ところで、7人制の日本代表に選ばれた。走力を生かしてニュージーランドや韓国を相手にトライを決めた摂南大学の4年生に、東芝ブレイブルーパス東京から声がかかる。
「(採用担当の)モチさん(望月雄太)さんが、セブンズの試合を観てくれていました。東芝ブレイブルーパス東京から誘われたときは、すごく嬉しかったですね。フィジーの家族には『リーチと一緒にプレーするんだ』と連絡をしました」

 18年に東芝ブレイブルーパス東京に加入すると、そのリーチから刺激を受けた。
「大学までは食事に気をつけていなかったな、それ以外のところでも良く考えて行動していなかったな、と感じました。そうやって気づいたのは、リーチさんの存在が助けになりました。いまは日常生活からコントロールしています」
 東芝ブレイブルーパス東京のカルチャーにも馴染んでいる。
「選手同士が、強い絆で結ばれています。トレーニングや試合でミスをしたときに、お互いに助け合う。試合中にセンパイがいいプレーをしたら、若い選手は自分はもっとできると勇気づけられます」

 在籍5年目を迎えている。昨シーズンは15試合に先発出場し、9トライを記録した。チームの主力となっている28歳は、若手を勇気づける立場となっている。
「いまの僕は年齢的に、ちょっとセンパイですかね(笑)。ブレイブルーパスはセンパイ、コウハイというのはあまりなくて、みんなが分け隔てなく接している。後輩たちにも自分の意見を言う場所を与えてくれる。それがブレイブルーパスの一番いいところ。コーチも、選手も、チームのなかに居る人はみんなファミリーです」
 血のつながったファミリーの存在も、ジョネの支えとなっている。東芝ブレイブルーパス東京の一員となってからは、フィジーの家族に仕送りをしている。3人の妹の学費を出しているのだ。
 21年に結婚した奥さんとの出会いについては、「人生で最高の選択です」と笑みをこぼす。奥さんは第一子を妊娠中だ。黄金色の幸福感に包まれながら、ジョネは魅力あるラガーマンとなっていく。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)



【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
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