【物語りVol.38】 CTB 眞野 泰地
大学生までの足跡を知る人からすると、東芝ブレイブルーパス東京に加入後の眞野泰地がにわかには信じがたいかもしれない。
東海大仰星高校と東海大学で主将を務めた。高校時代は花園優勝を経験し、大学でも頂点に迫った。同世代の最前線を駆け抜けてきた男が、東芝ブレイブルーパス東京加入1年目の2020年と21年は、公式戦に一度も出場せずに終わった。2022年シーズンも、最終盤の2試合にリザーブでピッチに立っただけで終えている。
高校日本代表、ジュニア日本代表、U20日本代表に選ばれてきた才能に、いったい何があったのか。
ラガーマンが必然的に背負うリスクに、眞野は直面していた。
「加入してすぐの20年は、コロナの影響もあって試合が中止されたこともありましたが、21年は脳震とうに見舞われて。以前もやったことがあって、半年以上ラグビーができなかったんです」
脳震とうは一度起こすと2度目のリスクが高まる。さらに、繰り返すほど症状が重くなる、と言われている。
「同期が試合に出ているのに自分は出られないもどかしさを感じていたところで、高校、大学はうまくいっていたし、キャプテンをやらせてもらって試合に出ていました。出られない経験はしてこなかったので、社会人に入って思うようにプレーできず、ずっとメンバー外というのも初めての経験で。そこで色々と大切なことを学びました。東芝ブレイブルーパス東京というチームの温かさというか、色々な人が支えてくれたから頑張れた、というのはあります」
歯がゆさ、悔しさ、もどかしさが、折り重なって身体のなかで沸騰する。そのあとは、やりきれなさ、無力感、疎外感といったものに襲われる。いや、と自分を奮い立たせても、しばらくすると重苦しさが胸を詰まらせる。
「一番寄り添ってくれたのは、(採用担当の)東口剛士さんです。剛士さんも何度も脳震とうをしたそうで、それによって試合に出られない経験をして、K9のつらさも分かっているので、唯一言葉が刺さったと言うか。脳震とうのつらさとかもどかしさって、やったことがないと分からないと思うんです。剛士さんがいてくれて、話を聞いてくれて、なんとか乗り越えられた気がします」
試合メンバー外選手を指す「K9」の立場で、チームのために汗を流す選手の姿にも胸を打たれた。藤田貴大である。
「藤田さんはK9でも、チームのためにめちゃくちゃ頑張っていて。自分のなかにある辛い気持ちを見せないその背中を見て、何とか頑張れました」
東芝ブレイブルーパス東京での初キャップは、22年のレギュラーシーズン最終節に巡ってきた。5月8日の静岡ブルーレヴズ戦で、リザーブに入ったのである。
「(中尾)隼太さんのケガがあって、たまたま僕が入れたんです。それ以前にも出られるタイミングで体調不良になったりして、メンタルをズタボロにされていた。僕は日記を書いていて、隼太さんの代わりに急きょ呼ばれた前日も、いま読み返すと恐ろしいことを書いていたというか、ホントに人生のどん底にいました。そういうことを思っていた次の日に努力が報われるというか、たまたま試合に出られたというのは不思議な感覚でした」
今シーズンもケガで出遅れてしまった。
それでも、悲壮感はない。
「去年の経験が生きてます。ホントにどん底までいって、色々な人に支えられて、シーズンの最後に何とか試合に出ることができた。去年に比べれば、焦りとかはないんです。それよりも、試合に出られなくてもチームのために、自分ができることをコツコツやる大切さを、僕は先輩たちから学ばせてもらった。それって自分のためにもなるし、もし試合に出られてなくてつらい思いをしている選手がいたら伝えていきたいし、支えてあげたいなと思います」
東芝ブレイブルーパス東京に加入してから、「ラグビー人生で一番つらい時期」を過ごしてきた。できることなら消去したい記憶は多いはずだが、眞野の声にはしっかりとした張りがある。
「僕のなかではこのチームに入ってからの3年間に、人生が詰まっていると感じています。思うように試合に出ていないし、リーグワンの舞台で輝けていない時間を経験していることが、自分にとっては大きいです。高校、大学とキャプテンをやってきて、メンバー外の選手にも感謝の言葉を伝えてきましたけど、メンバー外がどれほどキツいのかは分かっていなかったです。高校の時は花園のメンバーに入れない選手たちに、『お前らの思いも背負う』と言いましたけど、改めてみんなの存在がありがたかったと思います。大学のときもメンバー外が必死に頑張ってくれていた。アイツらはすごかったなと感じています」
過去の自分を見つめ直すことができたのも、東芝ブレイブルーパス東京の一員だからだろう。このチームの選手たちは、試合に出る、出ないといった立場を越えて、勝利を希求するのだ。
「大学生の時にいくつかのチームから声をかけていただいて、最初は東芝さんに来る気持ちはなかったんですが、練習見学をして家族のようにいいチームだなと感じました。他のチームはお金のためというか、大学生ながらも練習に行ったときにそういうものが見えて。それもまた正解やと思うんですけど、ブレイブルーパスだけは学生のチームのように全員がまとまって、みんなが勝ちたいがために集まっているとすごく感じました。こういう人たちとラグビーがしたいと思って、いまは人間の芯の部分の温かさを感じています。そういうところがすごく感化されて、人間らしさを教えてもらっている、ブレイブルーパスに来てからの3年間で、人生のことをすっごく、めっちゃ学んでいます」
強調する意味を持つ「すっごく」と「めっちゃ」を同時に使うぐらいに、東芝ブレイブルーパス東京は眞野の生きざまに影響を及ぼしている。ラグビー選手としては苦難の時間を過ごしているものの、苦い感情を胸の奥にしまうことができるようになっているのだ。
もっとも、脳震とうのリスクからは、解放されていない。去年の12月にも見舞われた。
圧倒的な恐怖が、眞野から勇気を削り取っていく。
ラグビーへの熱が、断ち切られそうになった。
もうやめよう、と思った。
「でも、色々な人と話して、まだ続けようと思い直しました。23年のW杯後に、リッチー・モウンガが来るのは僕にとって大きいです。彼のような世界のトッププレーヤーに、間近で触れて吸収できる機会は、お金をいくら払ってもできることじゃない。将来は指導者になりたいので、モウンガから色々なものを学びたいと思っています」
学生時代の栄光が眩しいだけに、現在の眞野は暗闇に閉じ込められているような印象を与えるかもしれない。否、そうではない。チームメイトやスタッフの助けも借りながら、モノクロだった眞野の景色には彩りが添えられている。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
・物語り一覧はこちら
【チケット情報】
ぜひ試合会場にお越しいただき、東芝ブレイブルーパス東京の応援をよろしくお願いします!
・1/28(土)花園近鉄ライナーズ戦(@秩父宮ラグビー場)
・2/5(日)東京サンゴリアス戦(@秩父宮ラグビー場)