【物語りVol.81】LO ヒュー・パイル

 5歳でラグビーを始めてから、29年の月日が過ぎた。ヒュー・パイルは「ワーナー(・ディアンズ)が生きてきた人生よりも、9年も長いですね」と笑う。
 オーストラリア最大都市シドニーのノーザンビーチで生まれた。自宅のすぐそばに『ニューポートラグビーフットボールクラブ』があり、友人たちとボールを追いかけた。
「最初はフルバックでした。当時は細身で、足がとても、とても速かったんです。10歳ぐらいからたくさん食べるようになり、太っていきました。高校からは身体が大きくなったこともあり、FWがポジションになりました」
 高校1、2年まではサードチーム(3軍)だった。最終学年で同じポジションの選手がケガをしたこともあり、ファーストチームにピックアップされた。
「高校卒業後はシドニー地域の『ウォリンガラグビークラブ』のU21チームでプレーを続けました。そこに1年間在籍して、そのあとは州の3部リーグのチームに属しました。高校時代の友だちと、もう一度一緒にラグビーを楽しんでいました」
 高校卒業後はシドニー大学で学びながら、ラグビーを趣味として楽しんでいた。ところが、パイルの人生は一変する。キャンベラに本拠地を置くブランビーズから声がかかったのだ。大学を中退したパイルは、プロのラグビー選手として生きていく決断をする。
「ブランビーズで1年間過ごし、2011年にレベルズと契約を結びました。レベルズではなかなか勝つことはできませんでしたが、スーパーラグビーに出場して、素晴らしい選手たちと素晴らしい経験をすることができました」

 オーストラリア代表のトレーニングキャンプにも招集されるようになったパイルに、フランス・トップ14のスタッドフランセが興味を示した。14年にオーストラリアを離れ、パリへ移り住んだ。
「レベルズとは契約を1年残していましたが、新しい刺激を求めました。オーストラリアとは地球の反対側になるフランスは、ヨーロッパのあらゆる国にアクセスできます。日々の生活も楽しむことができました。ラグビーでは7万4千人の大観衆の前でプレーするという、貴重な経験を積むことができました。フランスの永住権を取得して、第二の故郷となりました」
 14―15シーズンは、リーグチャンピオンの一員となった。17年にはヨーロッパ各国のクラブが出場する『ヨーロピアン・チャレンジ』で優勝を飾る。
「スタッドフランセには20年まで在籍して、そのあと1年間はアビロン・バイヨンヌでプレーしました。バイヨンヌでは膝のケガもあってたくさんの試合に出ることができず、32歳になっていたので、他のチームから声がかかることはないだろうな、と考えていました」
 ラグビーへの情熱は失っていなかったものの、トップレベルから退くことも覚悟していた。東芝ブレイブルーパス東京からオファーが届いたのは、そんな時だった。
「僕にとってはいい意味での驚きでした。オファーをもらってから、コーチングスタッフや選手を調べて、知っている選手がいることが確認できました。YouTubeで試合のハイライト映像も観ました。ワクワクしましたね」

 加入1年目の2022シーズンは、4試合に出場した。2年目となる2022―23シーズンは、第7節でシーズン初キャップを獲得した。
 日々のトレーニングからハードワークを重ね、出場機会を待った。刹那の攻防にも情熱を傾ける、彼なりの理由がある。
「2016年に、ひどい頭痛を患ってMRIで検査をしました。脳の血液に問題があるとの診断でした。ドクターは血管が詰まっているので、このままの状態では破裂して脳内出血してしまう恐れがある、と言われました」
 セカンドオピニオンを求めて、病院へ通う日々を過ごした。複数のドクターの意見を総合すると、治療方法はふたつに絞られた。
「手術を受けるか、放射線治療をするか、とのことでした。手術をすると左半分に障害が残る可能性があるので、チームも自分もその選択肢は排除しました。幸いにも素晴らしいメディカルの環境が整っていたので、放射線治療を安全に行なってもらいました」
 放射線による治療は、一度ではない。術後から2年間の継続的な治療が必要だった。スタッドフランセとの契約期間だったため、パイルは治療を続けながら試合に出場していった。
「セラピーを受けて、脳内出血にならないことを祈りながら、ラグビーを続けました」
 身命を賭してまでラグビーを続けたのは、いったいなぜだったのか。パイルは「それはちょっと、意味合いが違いますね」と遠慮がちに否定した。その言葉がふるっている。
「命を賭けてというよりは、楽しいラグビーをするためには命は惜しくない。たとえ命を危機にさらしてもやりたい、というのが僕の思いでした」

 2022-23シーズンに強い思いを注ぐ理由は、もうひとつある。パイルは少し憂いを含んだ表情を浮かべた。
「オーストラリア人やニュージーランド人なら誰でも同じでしょうが、日本の文化にすぐに適応するのは難しいです。とくに僕はフランス文化に慣れ親しんでいたので、1年目は少し傲慢な態度やリスペクトを欠ける行動があったかもしれない、と感じています。ですから、日本人選手からリスペクトを受けられるように、行動で示していきたいというのがいまの気持ちなんです」
 フランスのトップ14でプレーできる選手を聞かれると、「たくさんいますよ」と即答する。そのなかから、ふたりのベテランの名前をあげた。
「ひとり目はフトシさん(森太志)。とにかくタフでセットピースがうまい。それはフランスのリーグの特徴でもあります。ふたり目はかじさん(梶川喬介)。彼もタフでハードワークできる。身体をぶつけることに恐怖心を持たずに、やり続けることができます」
 さらにもうひとり、ジャニーこと高城勝一の名前をあげた。ロックのポジションで競い合う24歳には、特別な感情を抱いている。
「僕は彼をパワーと呼んでいますが、パワーはプロのキャリアを切ったばかりで、まだ東芝でキャップを獲得していない。けれど、ラグビーを楽しんで続けていけば、自分のように長いキャリアを築くことができるでしょう。彼がそういうふうに考えられるように、少しでもいい影響を与えることができたらと思っているんです」
 自らの振る舞いを振り返り、自省し、改める。心の鎧を脱ぎ去って、チームにコミットしていく。ピッチに立つ機会が限られていても、パイルは東芝ブレイブルーパス東京の大切なメンバーだ。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)


【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
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【チケット情報】
4/21(金)はついに最終節、昨年度優勝の埼玉ワイルドナイツとの対戦となります。プレーオフトーナメント出場(4位以上)を果たすためには決して負けられない戦いとなりますので、皆様のご声援をよろしくお願いいたします。
4/21(金)埼玉ワイルドナイツ戦(@秩父宮ラグビー場)
※当日券も会場にて販売いたします(4/21 16:30~)

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