【物語りVol.90】LO PJ・スティーンカンプ

 ピーター・ジョン・スティーンカンプは、仲間たちから「パイクス」と呼ばれる。シンプルな愛称は、彼の親しみやすさを表わしているようだ。
 テーブルマウンテンで有名な南アフリカのケープタウンで生まれ、15歳までサッカーに打ち込んでいた。ところが、コーチからのある助言で、パイクスは競技を変えることになる。
「日本で言う工業高校でサッカーをやっていたのですが、身体が大き過ぎる、その身体はラグビーに使ったほうがいいと言われたのです」
 アフリカ大陸で初めてW杯を開催したように、南アフリカはサッカーも盛んだ。プロとしてヨーロッパでプレーする選手もいる。突然の宣告を受けたパイクス少年は、すぐにラグビーへ気持ちを切り替えることができたのだろうか。
「幼少期から色々なスポーツをやっていて、それまでちゃんとやったことのなかったラグビーに転向することになったので、それはやはり大きな決断でした。ただ、実際にやってみてラックで身体を当てたときに、コンタクトの“うまみ”を知ってしまったのです。それからはもっと身体を当てたい、という気持ちになりました」
 ここからのキャリアは疾走感に富む。わずか4試合に出場しただけで、ケープタウンの名門校から奨学金付きで勧誘されるのだ。
「サッカーでは州代表や年代別の代表に選ばれたことがなく、ラグビーでは4試合目で強豪校に誘われましたから、競技を変えたのはいい決断だったのかな、といまは思います」
 恵まれた身体を生かした力強いディフェンスや突破力は、強豪校でも目を引いた。さらなるステップアップの好機が訪れるのだ。
「プレトリアの強豪校から、オファーをもらいました。その学校でやっているときに、プレトリアに本拠を置くスーパーラグビーのブルズの契約下に入りました」
 この時点でまだ、ラグビーをはじめて1年足らず(!)である。それにも関わらず、国際的にも名前を知られるブルズで、プロへの道を切り開いていくことになるのだ。
「親元を離れて下宿をしながら、学校生活とラグビー部の活動をすることに決めました。ケープタウンは緑豊かできれいな街なのですが、プレトリアは砂っぽいというか、街が黄色でした。それで、着いたその日に両親に電話をして、『明日の朝一番のバスでケープタウンに帰るよ』と伝えました(笑)。そんな冗談を言いたくなるほど、最初は環境の変化に戸惑いました。けれど、戸惑いを上回るぐらいラグビーが楽しかったですね」

 右肩上がりのキャリアに、暗雲が立ち込めたのは18年から19年あたりだっただろうか。ブルズから首都ヨハネスブルクのライオンズへ移籍したが、ケガに見舞われてしまうのである。
「脛の骨を折ってしまって、それが治ったら膝の軟骨を損傷して、ライオンズでの最初の2年間はほとんど試合に出られず、リハビリばかりしていました。復帰後もブランクがあってゲームタイムをなかなか確保できなかった。コーチ陣と面談をすると、『使いたいけれどケガの影響もある』と言われて。環境を変えて心機一転しようと考えたときに国内外からオファーが届き、そのなかのひとつに東芝ブレイブルーパス東京がありました」
 日本へ行ったことはなかった。どのような生活が待っているのか、想像もできなかった。それでも、パイクスはパスポートに日本行きの航空チケットを挟んだ。
「違う種類のラグビーを求めたのです。知らない国へ行くことに対してナーバスになるのではなく、新しいチームで、新しい環境で、プレーすることが待ち遠しかった。本当のワクワクが待っていると、細かな障壁は忘れることができると思います」
 東芝ブレイブルーパス東京の一員になってみると、自身が求めていたものがあった。違う種類のラグビーに触れることができている。
「南アフリカでは9番からFWに渡してキャリーするのが主流で、自分がFWの選手ならスクラムハーフからボールをもらって相手の壁に突っ込んでというのを繰り返すのが基本というか、そういうスタイルがあります。それに対してここでは、スクラムハーフからFWというのもありつつ、スクラムハーフからスタンドオフを経由してFWという展開が南アフリカに比べると格段に多い。同時に、ワイドへ展開することも、南アフリカより重きが置かれていますね」
 戦術的な部分だけではない。個人のスキルにおいても、新しい学びを得ている。パイクスは「うん、そうですね」と頷いた。
「たとえば、身長の関係もあってか日本はタックルもボールキャリーも低い。南アフリカではボールキャリーがもっと高く、そのぶんタックルも高い。上半身で戦うところがあったのですが、こちらでは低くいかないといけない。あとは体重で、南アフリカはできるだけ重くというか、機動力より重さが大事でした。日本では少し体重を軽くして、素早さに重きを置く。新しい自分のスタイルを見つけるきっかけを得ています」

 2023-24シーズンのリーグワンでは、23年のラグビーW杯優勝メンバーを含めて多くの同胞がプレーしている。練習試合や公式戦で、対戦が楽しみな知己もいる。
「プレシーズンマッチで対戦した浦安DRには、元チームメイトのローレンス・エラスマスがいました。ディビジョン1のチームでは、静岡BRのシルビアン・マフーザが、ライオンズのチームメイトでした。あとはS東京ベイのマルコム・マークスも、ライオンズのチームメイトでした。彼がケガから復帰して再びチームに合流したら、マッチアップが楽しみです」
 東芝ブレイブルーパス東京では、フランカーをベースにロックでの起用が見込まれる。「自分にできることは何でもしたい」と話すパイクスの心は、チームへの忠誠心で満たされている。
「チームにはものすごく温かく受け入れてもらい、家族のような空気に包まれていると感じます。誰かと誰かがいがみ合っているとか、実はこの人とこの人は裏側で仲が良くない、とかいうことがまったくない。みんなが良好な関係を築いているチームです。同時にハードワークする風土も感じます」
 来日から2か月ほどはガールフレンドと一緒だったが、24年1月からひとりで過ごしている。「みんなが優しいから寂しくないよ」とパイクスは柔らかな表情で肩を揺らし、胸に秘める思いを打ち明けた。
「試合に出るチャンスをもらえたら、大きなインパクトを残したい。自分のプレーで見ている人に勇気を与えたいのです」
 南アフリカからやってきた愛すべきキャラクターは、東芝ブレイブルーパス東京でラグビーができる誇りと感謝を、一つひとつのプレーにぶつけていくのだ。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)


【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
・物語り一覧はこちら


【チケット情報】
1/14(日)は三重ホンダヒートとの対決となります。
皆様のご声援をよろしくお願いいたします。
1/14(日)三重ホンダヒート戦(@秩父宮ラグビー場)
※当日券も会場にて販売いたします(12:00~)

関連リンク

LINK

パートナー

PARTNER

このページのトップへ