【物語りVol.91】HO 林琉輝

 林流輝は、ラグビーをやめようと思ったことがある。一度ではない。二度ある。
 一度目は大学への進学時だ。
「高校があまり強くなかったというのもあって、このへんでいいかな、という気持ちになりました」
 ラグビー選手だった父に憧れ、小学生年代で全国的にも強豪として知られる『横浜ラグビースクール』に入った。当時は身体が小さく、ポジションはスクラムハーフだった。チームは全国大会で4位になった。
 ラグビーと並行してサッカーやレスリングなどにも取り組んだが、中学からラグビー1本に絞り込む。地元・横浜市の日本大学中学へ進み、部活と並行して横浜ラグビースクールでもプレーした。さらには、『ラグビーパークアカデミー』にも通った。自身と同じく2023年度に東芝ブレイブルーパス東京入りする田中元珠と、ここで一緒に学んでいる。
 中学でもクラブチームで全国大会に出場し、上位進出を果たした。神奈川県の選抜チームにもセレクトされた。県内外の有名校から勧誘を受けたが、日本大学高校へ進学する。
 神奈川県内には、ラグビー強豪校が多く存在する。日大高が全国的な脚光を浴びることなく、林の脳裏に競技から離れようとの思いが過ったのだった。
「高校で終わりにしようかなと思っていたら、続けると思っていなかった仲のいい友だちが『大学でもやる』と言って。それで僕も、チャレンジしてみようかなと。父が日大のOBというのも理由でした。ラグビー部の顧問の先生も大学のOBで、続けたほうがいいと言ってくれました。大学のスクラムコーチも以前指導を受けた方で、その人もやったほうがいいと、背中を押してくれました」

 大学入学時は身体が細かったものの、2年時から試合に絡めるようになった。リーグ戦や大学選手権で強豪校とも対戦していくが、卒業後もラグビーを続けようとは考えなかった。
「3年から4年になるタイミングで、菊谷崇さんがヘッドコーチに、ソン・アンドさんがFWコーチになったんです。僕はすでに就職活動をしていて、4年になってから希望する職種の企業から内定もいただきました。でも、菊谷さんが『オレがチームを探すから、絶対にラグビーを続けてほしい』と何度も言ってくださって。ソンさんも色々な知り合いやチームへ、連絡をしてくれたんです」
 11年のラグビーW杯に主将として出場した菊谷は、林のプレー映像を作ってくれた。リーグワンのチームに観てもらうためで、編集作業は深夜まで及んだ。林の心が動く。それまで触ろうとしなかったスイッチを押した。
「その姿を見て、やらなきゃいけない気持ちになりました。リーグワンのチームでラグビーをすることは、普通の就職活動より難しいと言いますか、間違いなく狭き門じゃないですか。そっちのほうにチャレンジしたい気持ちになって、東芝ブレイブルーパス東京がフッカーを探しているタイミングで、採用の望月(雄太)さんと(昨年まで採用だった)東口(剛士)さんが来てくれて、23年の夏ぐらいにギリギリで決まったという感じです」
 望月らとのやり取りで、印象に残ったことがある。東芝ブレイブルーパス東京は他クラブと違うところを見てくれる、と感じた。
「すごく印象的だったのは、プレーの質問とかはもちろんあったんですけど、それよりも性格とか人間性の質問を受けました。プレー以外の部分も見てくださっていると感じまして、絶対にいいチームだなと思いました」
 実際にチームの一員となると、自身の見立てに間違いはなかったと確信した。
「リクルートされたときに感じたとおりで、いい人が集まっているなと。プレシーズンの合宿で同じフッカーの橋本大吾さんと同室だったのですが、マンツーマンで教えてもらい、自分のプレー映像をチェックしてフィードバックをくれたりもしました。普段の練習が終わったあとにも、フッカーの先輩方が僕の足りない部分に付き合ってくださって。色々な方に助けてもらっています」
 同じポジションの選手はライバルだが、試合出場をめぐる競争は清々しい。ベテランも、中堅も、若手も、互いを認め合い、己を高めていく。「ホントにそうなんです」と、林は少し驚いたように頷いた。
「大学のときとかは感じられなかったですけど、自分が持っている知識を、僕のような後輩に100パーセント伝えてくれる方ばかりなんです。選手としても、人間としても、ホントに尊敬しています」

 林と同じ2023年の新加入選手には、オールブラックスのリッチー・モウンガやシャノン・フリゼルがいる。W杯決勝の舞台にも立った世界的スターと、チームメイトになった。
「一緒にいることに緊張することはなくなりましたが、特別な環境ですよね。アフターで練習をしていたときに、シャノン選手に教えてもらったりします。そういうときに、『あ、すごいところにいるんだな』と、感じることはあります」
 幼少期から身体に染み込んだ習慣がある。ラグビー選手としての林を、支えているものでもある。
「悪かったことをしっかり反省して、次に生かせるように心がけています。できなかったことをその場に置きっぱなしにしないで、解決するようにしています」
 7歳からラグビーに打ち込んできたが、最高成績は準優勝だ。日本一になったことはない。林の瞳に野心の色が浮かんだ。
「自分が試合に出るのはもちろんですけれど、やっぱりチームが勝つのが一番です。この素晴らしいチームで、ぜひ優勝したいですね」
 ラグビーを続ける決断を後押ししてくれたすべての人たちに感謝して、林は未知の世界へ突き進んでいく。自分らしさを忘れずに。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)


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