森 太志 | HO
FUTOSHI MORI
ニックネーム | フトシ |
---|---|
生年月日 | 1988/4/25 |
身長(cm) / 体重(kg) | 175cm / 103kg |
足のサイズ(cm) | 27cm |
出身地 | 東京都 |
星座 | おうし座 |
血液型 | A型 |
略歴 | 仙台育英学園高校帝京大学 |
代表歴 | 日本代表(2) サンウルブズ(4) |
在籍年数 | 13 |
森 太志の物語
※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です
東芝ブレイブルーパス東京への愛を語ってもらうなら、森太志こそが適任だろう。チームに対して特別な感情を抱きながらプレーする選手は多いが、森が育んできた思いは「愛」と呼ぶにふさわしい。
「父がラグビー選手で、ラグビーというスポーツを知る以前から、東芝の選手たちが家に来ていました。大きい人たちだなあ、カッコいいなあ、こういう人たちみたいになりたいなあ、というのが東芝の皆さんでした。ずっと憧れていたチームで11年もやらせてもらってきて、ホントに幸せで。自分のことだけを考えたら、もうけっこう満足しているところはあって。ただでも、お世話になってきたスタッフやチームに対して何かできることがある状態で、自分だけやめますというのは絶対に嫌なんです」
周囲の支えが胸の奥まで響いた場面がある。
「21年2月のトップリーグ開幕戦で、左足のアキレス腱が切れたんです。前の年の9月に湯原さんが亡くなって、自分が頑張らなきゃと思っていたシーズンの1試合目で、スクラムで切れちゃったんです」
ベンチへ戻った森は、直感的に「これはもう、厳しいな」と思った。心が折れる音を、聞いた気がした。
その後はピッチに戻ることなく、シーズンを終えた。引退勧告も覚悟していたが、森は22年シーズンに再びピッチへ戻る。
「トレーナー陣にはすごくお世話になりました。特別な言葉をかけてもらったわけじゃないんですが、復帰して試合に出るという雰囲気でずっと接してくれた。コーチングスタッフも『お前のキャリアはまだ長いよ』と言ってくれました」
同期の存在も、森の背中を押してくれている。森と同じ2012年度の新加入選手は8人で、現在はリーチ マイケル、三上正貴、豊島翔平が在籍している。
「他の世代は同期会とかやってるんですけど、自分らは全然なくて。僕がお酒をあまり飲めないというのがあると思うんですが、仲は悪くないけどベタベタしていない。でも、この同期だから頑張れているのはあるかもしれない。8人とも個性が強くて、すごい選手が多い。彼らがすごいことを成し遂げると、一瞬悔しくなるんです。でも、やっぱりうれしい。あの同期は特殊ですね。自分の支えですし、負けたくない気持ちがあります」
リーチは日本ラグビーのアイコンのひとりだ。三上はリーチとともに、15年のW杯に出場した。豊島は7人制の日本代表として、16年のリオ五輪に出場している。
「彼ら3人は、自分の実力でここまで残っている。でも自分は全然そんなことはなくて、ウチじゃなかったらたぶん6年ぐらいで……それは間違いないと思います」
ふいに「ウチ」という言葉が出てくるところに、東芝ブレイブルーパス東京への「愛」がにじむ。一方的な「愛」にしたくないから、森は自分がすべきことを必死になって探すのだ。
「後輩のフッカーたちにベテランぶらずに、マジで全力で挑んで、絶対に負けないという気持ちを持ち続ける。それがチームのためにもなる、と信じています」
ピッチ外ではクラブの伝統を継承していく。
「人間的にも魅力を感じる選手が、ウチのチームには多いと感じています。他のチームからも尊敬される選手がいて、湯原さんがまさにそうでしたけど、そういう選手は東芝が培ってきた内面的なカッコ良さにプラスして、自分で一生懸命実績をあげて、それが合わさって輝いている。自分のためにも、人のためにも、ひたむきに頑張れる東芝のカッコ良さみたいなものは、伝えていきたいですね」
東芝ブレイブルーパス東京の一員として、12年目のシーズンを迎える。尊敬する湯原祐希さんなら、いまの自分にどんな声をかけてくれるだろう。胸のなかで息づく先輩の声に、森は静かに耳を傾ける。
「自分の中の湯原さんが『このままで終われるわけないだろ』と、ずっと言うんです。みなさんに支えてもらってこんなことを言うのはアレですけど、湯原さんが『太志、良く頑張ったな、もういいよ』と納得してくれる状態で引退したいんです。チームにとって価値のあるベテランでいたい、試合に出られなくてもチームにとって何かプラスになるようにやり続けたい、と思っています」
やり残したことがある。
昨シーズンのプレーオフ準決勝で、森は6点を追う終盤に途中出場した。逆転へ向けてチームに勢いをもたらしたかったが、ラインアウトでミスを繰り返してしまった。ノーサイドの瞬間、森は頭を抱えて動けなかった。
「みなさんから色々な温かい言葉をいただきましたが、あの準決勝の結果についての責任は感じています。次にまたああいう場面で出番が回ってきたときに、自信を持ってその場に立てるような準備をします」
仙台育英高校在籍時、高校ラグビー界の名将・丹野博太監督にフッカーへの転向を勧められた。当時の森はフランカーだったが、「上へ行きたいならフッカーだよ」と告げられた。「あれはラグビー人生のターニングポイントでしたね」と、森は振り返る。
以来ここまで、フロントローで身体を張り続けてきた。アキレス腱断裂の大ケガだけでなく、肩も2度手術している。肉体は絶えず傷つき、懸命のケアでリカバリーをしている。
「プレーヤーとしてのキャリアは、ホントに終盤だと思っています。自分にできることを最後まで探し続けて、それでボロボロになるなら本望です」
1年後か2年後か、あるいは5年後か。いつかは第一線を退く日がくる。アスリートの宿命である。
愛する東芝のために、これ以上戦うことができない。森にとっては死刑宣告にも等しいのかと思いきや、彼はとびきりの笑顔を浮かべる。
「客観的に見てもすごい選手が揃っている。間違いなく東芝の時代が来る、とヒシヒシと感じています。だから、引退したあとにひとりのファンに戻るのが、すごく楽しみなんですよ」
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
東芝ブレイブルーパス東京への愛を語ってもらうなら、森太志こそが適任だろう。チームに対して特別な感情を抱きながらプレーする選手は多いが、森が育んできた思いは「愛」と呼ぶにふさわしい。
「父がラグビー選手で、ラグビーというスポーツを知る以前から、東芝の選手たちが家に来ていました。大きい人たちだなあ、カッコいいなあ、こういう人たちみたいになりたいなあ、というのが東芝の皆さんでした。ずっと憧れていたチームで11年もやらせてもらってきて、ホントに幸せで。自分のことだけを考えたら、もうけっこう満足しているところはあって。ただでも、お世話になってきたスタッフやチームに対して何かできることがある状態で、自分だけやめますというのは絶対に嫌なんです」
周囲の支えが胸の奥まで響いた場面がある。
「21年2月のトップリーグ開幕戦で、左足のアキレス腱が切れたんです。前の年の9月に湯原さんが亡くなって、自分が頑張らなきゃと思っていたシーズンの1試合目で、スクラムで切れちゃったんです」
ベンチへ戻った森は、直感的に「これはもう、厳しいな」と思った。心が折れる音を、聞いた気がした。
その後はピッチに戻ることなく、シーズンを終えた。引退勧告も覚悟していたが、森は22年シーズンに再びピッチへ戻る。
「トレーナー陣にはすごくお世話になりました。特別な言葉をかけてもらったわけじゃないんですが、復帰して試合に出るという雰囲気でずっと接してくれた。コーチングスタッフも『お前のキャリアはまだ長いよ』と言ってくれました」
同期の存在も、森の背中を押してくれている。森と同じ2012年度の新加入選手は8人で、現在はリーチ マイケル、三上正貴、豊島翔平が在籍している。
「他の世代は同期会とかやってるんですけど、自分らは全然なくて。僕がお酒をあまり飲めないというのがあると思うんですが、仲は悪くないけどベタベタしていない。でも、この同期だから頑張れているのはあるかもしれない。8人とも個性が強くて、すごい選手が多い。彼らがすごいことを成し遂げると、一瞬悔しくなるんです。でも、やっぱりうれしい。あの同期は特殊ですね。自分の支えですし、負けたくない気持ちがあります」
リーチは日本ラグビーのアイコンのひとりだ。三上はリーチとともに、15年のW杯に出場した。豊島は7人制の日本代表として、16年のリオ五輪に出場している。
「彼ら3人は、自分の実力でここまで残っている。でも自分は全然そんなことはなくて、ウチじゃなかったらたぶん6年ぐらいで……それは間違いないと思います」
ふいに「ウチ」という言葉が出てくるところに、東芝ブレイブルーパス東京への「愛」がにじむ。一方的な「愛」にしたくないから、森は自分がすべきことを必死になって探すのだ。
「後輩のフッカーたちにベテランぶらずに、マジで全力で挑んで、絶対に負けないという気持ちを持ち続ける。それがチームのためにもなる、と信じています」
ピッチ外ではクラブの伝統を継承していく。
「人間的にも魅力を感じる選手が、ウチのチームには多いと感じています。他のチームからも尊敬される選手がいて、湯原さんがまさにそうでしたけど、そういう選手は東芝が培ってきた内面的なカッコ良さにプラスして、自分で一生懸命実績をあげて、それが合わさって輝いている。自分のためにも、人のためにも、ひたむきに頑張れる東芝のカッコ良さみたいなものは、伝えていきたいですね」
東芝ブレイブルーパス東京の一員として、12年目のシーズンを迎える。尊敬する湯原祐希さんなら、いまの自分にどんな声をかけてくれるだろう。胸のなかで息づく先輩の声に、森は静かに耳を傾ける。
「自分の中の湯原さんが『このままで終われるわけないだろ』と、ずっと言うんです。みなさんに支えてもらってこんなことを言うのはアレですけど、湯原さんが『太志、良く頑張ったな、もういいよ』と納得してくれる状態で引退したいんです。チームにとって価値のあるベテランでいたい、試合に出られなくてもチームにとって何かプラスになるようにやり続けたい、と思っています」
やり残したことがある。
昨シーズンのプレーオフ準決勝で、森は6点を追う終盤に途中出場した。逆転へ向けてチームに勢いをもたらしたかったが、ラインアウトでミスを繰り返してしまった。ノーサイドの瞬間、森は頭を抱えて動けなかった。
「みなさんから色々な温かい言葉をいただきましたが、あの準決勝の結果についての責任は感じています。次にまたああいう場面で出番が回ってきたときに、自信を持ってその場に立てるような準備をします」
仙台育英高校在籍時、高校ラグビー界の名将・丹野博太監督にフッカーへの転向を勧められた。当時の森はフランカーだったが、「上へ行きたいならフッカーだよ」と告げられた。「あれはラグビー人生のターニングポイントでしたね」と、森は振り返る。
以来ここまで、フロントローで身体を張り続けてきた。アキレス腱断裂の大ケガだけでなく、肩も2度手術している。肉体は絶えず傷つき、懸命のケアでリカバリーをしている。
「プレーヤーとしてのキャリアは、ホントに終盤だと思っています。自分にできることを最後まで探し続けて、それでボロボロになるなら本望です」
1年後か2年後か、あるいは5年後か。いつかは第一線を退く日がくる。アスリートの宿命である。
愛する東芝のために、これ以上戦うことができない。森にとっては死刑宣告にも等しいのかと思いきや、彼はとびきりの笑顔を浮かべる。
「客観的に見てもすごい選手が揃っている。間違いなく東芝の時代が来る、とヒシヒシと感じています。だから、引退したあとにひとりのファンに戻るのが、すごく楽しみなんですよ」
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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