山本 浩輝 | FL

HIROKI YAMAMOTO

山本 浩輝
山本 浩輝
ニックネーム ヒロキ
生年月日 1992/11/17
身長(cm) / 体重(kg) 187cm / 102kg
足のサイズ(cm) 30cm
出身地 大阪府
星座 さそり座
血液型 B型
略歴 石見智翠館高校筑波大学
代表歴 日本代表(CAP5)7人制日本代表高校日本代表
在籍年数 7

山本 浩輝物語

※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です

 中学生までは野球少年だった。部活動で軟式野球に打ち込んでいたが、中学生最後の試合でショッキングな敗退を喫する。
「自分ではあまりうまくないなあと思っていたところで、最後の大会で完全試合をやられて負けたんです。それもあって、野球はもうやめようかなと」
 高校ではコンタクトスポーツをやりたいと考えた。アメリカンフットボールとラグビーの間で気持ちが揺れ、生まれ育った大阪府から島根県の石見智翠館高校に越境入学する。日本代表やトップリーガーを輩出した花園の常連校で、山本は1年生の夏からロックとしてAチーム入りする。花園には3年連続で出場し、高校日本代表に選ばれた。
 筑波大学では2年時からポジションをつかむ。2年時と4年時は大学選手権の決勝まで勝ち上がるが、いずれも帝京大学に敗れた。東芝ブレイブルーパス東京のフッカー橋本大吾は、大学の一学年後輩にあたる。
「大学を卒業するにあたって、FWが強いチームでやりたいと思いました。そのなかで3チームほどに絞り、最終的には直感で東芝ブレイブルーパスに決めました。大学3年の日本選手権で東芝と対戦して、すごくいいチームだなと感じました。強いのはもちろんなんですが、ガツガツと泥臭い。そこにシンパシーを感じたというのも、東芝を選んだ理由かもしれません」

 ルーキーイヤーの15年シーズンから試合に絡んだ。16年には日本代表に選出され、5試合に出場する。2年目のシーズンもフランカーで出場機会をつかむが、3年目のシーズンはわずか1試合、たった5分しかピッチに立てなかった。
「当時の瀬川智広監督には、特徴がないと言われまして。その直後に、ニュージーランドのクルセイダーズへ留学したんです」
 留学期間は2か月だった。ラグビーのスキルを一気に向上させるには、少しばかり時間が短い。
「あっちの人たちはアグレッシブというか、個性をすごく出すんですよね。僕ももうちょっと自分の色を出せたらなあと感じて、帰国して自分の感覚でやったらうまくいったんです。ラグビーは性格が出るので、控え目ではなくもっと自分の直感を信じてやったほうがうまくいくんかなあ、と感じました」
 復活への手ごたえをつかんでいた。ところが、4年目のシーズンは出場記録が空白となる。右ひざの前十字靭帯を断裂してしまったのだ。
 ラグビー選手としてのキャリアは、暗闇に包まれてしまった。「勇退」の二文字が脳裏を過る。何度も、何度も。
「実は大学1年の夏に一度切っていて、手術から復帰まで8か月ほどかかりました。2度目のこのときはなかなか治らなくて、最終的には1年3か月ぐらいかかりました。大きなケガしたとか、長期のリハビリを経験した人はきっと同じだと思うんですが、タッキーさんの存在は大きかったですね」
 選手たちが「タッキーさん」と呼ぶヘッドアスレティックトレーナーの滝田陽介は、出口の見えないリハビリを続ける山本の伴走者となり、前走者にもなった。後ろからはそっと背中を押すこともあった。
「リハビリって毎日が憂鬱で、孤独を感じることもあります。タッキーさんはメニュー作りからリハビリの指導まで、優しさのなかに厳しさがあるんです」

 19年6月のトップリーグカップで、山本は復帰戦を飾った。17年9月以来、実に1年9カ月ぶりの実戦だった。
 ラグビーW杯を経て20年1月に開幕した20年シーズンも、開幕からキャップを獲得していった。トップリーグからリーグワンとなった2022シーズンは、チームの全17試合に出場した。先発も12試合を数えた。日本代表候補に6年ぶりに選出され、22年6月のウルグアイ戦で通算6つ目のキャップを獲得した。
 キャリアの円熟期を迎えて、山本は充実した日々を過ごしていた。22-23シーズンも、チームに欠かせない戦力となるはずだった。
 ところが──。
「11月19日のプレシーズンマッチで、またじん帯を断裂しました。その2日前が30歳の誕生日だったので、はっきりと覚えています」
 心の平衡感覚を失った。気がつけば、視線が天井へ向かう。タメ息が漏れる。
 だが、落ち込んではいられなかった。
「ヘコんだのはもちろんなのですが、妻が第一子を妊娠していたんです。なので、自分の手術は子どもが生まれたあとにしました。出産に立ち会って、出産とはなんて壮絶な経験なんだろうと感じました。自分のケガはちっぽけなもので、子育てにもしっかり関わりたいので、落ち込んでいる暇はないなと思いました」
 初めて抱いた子どもの柔らかさと温かさに、優しい匂いに、鼓動に、全身が震えるぐらいに感動した。リハビリを乗り越えるための、新しいモチベーションを得た。
「こういうことを言っていいのか分からないですけれど、自分にフォーカスしたいと思っているんです。22年のシーズンは良くやったと言われましたが、僕自身は全然満足していなくて。まだまだ成長できるし、うまくなっている実感がある。日本代表へ行っても、自分より上の人を超えたいと思いました。チームならマット・トッドを超えたいですし。もっとできると信じて、リハビリをやっている。そういう考えで、自分にフォーカスをあてているんです」

 リハビリは順調だという。タッキーさんからも、「絶対に治る」と言われている。
「自分を満足させるようなプレー、自分の限界を見たいんです。オレってこんなにできるんや、と思えるプレーを」
 はるけき道のりを経て、山本は戦列に戻ってくる。
 離脱前よりもパワーアップして、必ず、戻ってくる。
 負けるもんか。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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