豊島 翔平 | FB
SHOHEI TOYOSHIMA
ニックネーム | TOYO |
---|---|
生年月日 | 1989/1/9 |
身長(cm) / 体重(kg) | 175cm / 87kg |
足のサイズ(cm) | 28.5cm |
出身地 | 東京都 |
星座 | やぎ座 |
血液型 | O型 |
略歴 | 東海大相模高校東海大学 |
代表歴 | U20日本代表日本A代表7人制日本代表 |
在籍年数 | 13 |
豊島 翔平の物語
※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です
プロフィールの写真は「爽やか」だ。細くて耳障りのいい声色は、女性ブレイバーたちを惹きつけるのではないだろうか。
東芝の骨太な雰囲気とは少しばかりかけ離れているものの、そこは在籍12年目の経験者である。「猛勇狼士」にふさわしいエピソードがある。
中学2年までは、サッカーに打ち込んでいた。セレクションに合格したクラブチームでボールを蹴りながら、地元の北中野中学のラグビー部に所属していた。顧問の長島章先生が立ち上げた同部は、関東でも強豪に数えられていた。
「中学2年まではサッカーの練習がない日にラグビー部の練習に行っていたんですが、母親に『どちらかにしなさい』と言われて。サッカーをやると伝えたら、ダメだと。僕は男ばかり4人兄弟の3男で、ふたりの兄が同じ中学に通っていたので、長島先生と母親は知り合いだったんですね。あとから聞くと、ふたりの間で僕にはラグビーをやらせよう、と話が決まっていたそうです」
人生を決定づける出会いもあった。
「ラグビー部に一緒に入った同級生がすごくうまくて、中学卒業後も仲良くしていました。僕は東海大相模で彼は慶応で、お互いに部活がない日は地元でラグビーボールを触って。高校1年生のある日に、その彼に怒られたんです。『お前、もう帰るの? オレより下手なのに? 下手くそは下手くそなりにやれよ』と」
同級生に劣っているのは、豊島自身も自覚していた。もっとやらなければいけない、という気持ちを抱いていたものの、行動に移せずにいた。
「仲のいい友だちに面と向かって言われたあの言葉は、心の奥に刺さりました。ホントに悔しくて、それからは絶対に負けないと思うようになりました。『下手くそは下手くそなりにやる』というのは、ずっと自分の支えになっています。パスでもキックでも、すべてのスキルで自分が完璧などと思うことはない。下手くそなりに努力する。それはもう、ラグビー選手としての僕の原点だと思っています」
東海大相模高校では、県大会のベスト4が最高だった。
東海大学進学後は、日本一にあと一歩まで近づく。3年時にリーチマイケルや三上正貴とともに大学選手権決勝まで勝ち上がるが、森太志のいる帝京大学に1点差で逃げ切られた。
「中学時代にも、東日本大会の決勝戦が1点差負けでした。ブレイブルーパスを選んだのは、優勝できるチームだと思ったからです」
東芝ブレイブルーパス東京には加入以前から縁があった。U20日本代表で、現GMの薫田真広に学んだ。7人制日本代表では、OBの村田亙と瀬川智広のもとでプレーした。現コーディネーターの森田佳寿は、7人制当時のチームメイトでもある。
「社会人でやるつもりは、実はあまりなかったんです。ラグビーを通じてどこかに就職できたらいいな、ぐらいの気持ちでした。でも、色々なところから声をかけてもらったなかで、採用担当だった釜澤さんの人柄に惚れて、ブレイブルーパスのカラーの男らしさも釜澤さんを通して感じました。試合を観ていても泥臭さを感じる部分があり、練習も厳しいと聞いていましたので、そういう環境に身を置きたいと思ったんです」
ベテランと呼ばれる立場である。しかし、「自分ではそういう意識はないんです」と、力みのない表情を浮かべる。
「いつの間にかそういう立場になったなと思いながらも、年齢は重ねているのでそれなりの行動をしないといけない。だからといって先輩面、ベテラン面は絶対にしたくないと、僕は思っていて。S&Cのところでも、ベテランだから手を抜くことは絶対にしない。自分を見てくれる後輩たちが、そういうものを感じ取ってくれたらいいですね」
昨シーズンのベスト4入りを受けて、今シーズンは周囲の期待が高まる。豊島は「チームの雰囲気はいいですよ」と話しつつ、過去のチームと現在のチームを照らし合わせる。経験者の皮膚感覚は鋭い。言葉は遠慮がちでも、核心を突く。
「久々のベスト4入りで周りも喜んでくれて、そこに過信しちゃいけないと絶対に思っていて。少し、ちょっと、周りが喜んでくれたこともあって、自惚れている部分も何となくあると思うんですよ。トンネル抜けた喜びが、まさっちゃっているかなって」
シーズンが進んでいくなかで、チームに「緩み」のようなものが見えたら。日々のトレーニングに真摯に向き合い、若手に負けないぐらいに自分を追い込むことで、豊島は無言のメッセージを発信していくのだろう。
「ブレイブルーパスに入ってからも優勝できていないので、勝ちたいという強い思いがあります。2016年に順位決定トーナメントで決勝へ行っていますけど、僕は残り10分弱しか出ていなくて、それも1点差で負けてしまった。本当にもう、中途半端にラグビー人生を終えたくない。絶対に優勝だけは、という思いがあります」
穏やかな表情で話す33歳の内面で、熱い思いが沸き上がる。
東芝の遺伝子をしっかりと継承する男が、ここにもいる。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
プロフィールの写真は「爽やか」だ。細くて耳障りのいい声色は、女性ブレイバーたちを惹きつけるのではないだろうか。
東芝の骨太な雰囲気とは少しばかりかけ離れているものの、そこは在籍12年目の経験者である。「猛勇狼士」にふさわしいエピソードがある。
中学2年までは、サッカーに打ち込んでいた。セレクションに合格したクラブチームでボールを蹴りながら、地元の北中野中学のラグビー部に所属していた。顧問の長島章先生が立ち上げた同部は、関東でも強豪に数えられていた。
「中学2年まではサッカーの練習がない日にラグビー部の練習に行っていたんですが、母親に『どちらかにしなさい』と言われて。サッカーをやると伝えたら、ダメだと。僕は男ばかり4人兄弟の3男で、ふたりの兄が同じ中学に通っていたので、長島先生と母親は知り合いだったんですね。あとから聞くと、ふたりの間で僕にはラグビーをやらせよう、と話が決まっていたそうです」
人生を決定づける出会いもあった。
「ラグビー部に一緒に入った同級生がすごくうまくて、中学卒業後も仲良くしていました。僕は東海大相模で彼は慶応で、お互いに部活がない日は地元でラグビーボールを触って。高校1年生のある日に、その彼に怒られたんです。『お前、もう帰るの? オレより下手なのに? 下手くそは下手くそなりにやれよ』と」
同級生に劣っているのは、豊島自身も自覚していた。もっとやらなければいけない、という気持ちを抱いていたものの、行動に移せずにいた。
「仲のいい友だちに面と向かって言われたあの言葉は、心の奥に刺さりました。ホントに悔しくて、それからは絶対に負けないと思うようになりました。『下手くそは下手くそなりにやる』というのは、ずっと自分の支えになっています。パスでもキックでも、すべてのスキルで自分が完璧などと思うことはない。下手くそなりに努力する。それはもう、ラグビー選手としての僕の原点だと思っています」
東海大相模高校では、県大会のベスト4が最高だった。
東海大学進学後は、日本一にあと一歩まで近づく。3年時にリーチマイケルや三上正貴とともに大学選手権決勝まで勝ち上がるが、森太志のいる帝京大学に1点差で逃げ切られた。
「中学時代にも、東日本大会の決勝戦が1点差負けでした。ブレイブルーパスを選んだのは、優勝できるチームだと思ったからです」
東芝ブレイブルーパス東京には加入以前から縁があった。U20日本代表で、現GMの薫田真広に学んだ。7人制日本代表では、OBの村田亙と瀬川智広のもとでプレーした。現コーディネーターの森田佳寿は、7人制当時のチームメイトでもある。
「社会人でやるつもりは、実はあまりなかったんです。ラグビーを通じてどこかに就職できたらいいな、ぐらいの気持ちでした。でも、色々なところから声をかけてもらったなかで、採用担当だった釜澤さんの人柄に惚れて、ブレイブルーパスのカラーの男らしさも釜澤さんを通して感じました。試合を観ていても泥臭さを感じる部分があり、練習も厳しいと聞いていましたので、そういう環境に身を置きたいと思ったんです」
ベテランと呼ばれる立場である。しかし、「自分ではそういう意識はないんです」と、力みのない表情を浮かべる。
「いつの間にかそういう立場になったなと思いながらも、年齢は重ねているのでそれなりの行動をしないといけない。だからといって先輩面、ベテラン面は絶対にしたくないと、僕は思っていて。S&Cのところでも、ベテランだから手を抜くことは絶対にしない。自分を見てくれる後輩たちが、そういうものを感じ取ってくれたらいいですね」
昨シーズンのベスト4入りを受けて、今シーズンは周囲の期待が高まる。豊島は「チームの雰囲気はいいですよ」と話しつつ、過去のチームと現在のチームを照らし合わせる。経験者の皮膚感覚は鋭い。言葉は遠慮がちでも、核心を突く。
「久々のベスト4入りで周りも喜んでくれて、そこに過信しちゃいけないと絶対に思っていて。少し、ちょっと、周りが喜んでくれたこともあって、自惚れている部分も何となくあると思うんですよ。トンネル抜けた喜びが、まさっちゃっているかなって」
シーズンが進んでいくなかで、チームに「緩み」のようなものが見えたら。日々のトレーニングに真摯に向き合い、若手に負けないぐらいに自分を追い込むことで、豊島は無言のメッセージを発信していくのだろう。
「ブレイブルーパスに入ってからも優勝できていないので、勝ちたいという強い思いがあります。2016年に順位決定トーナメントで決勝へ行っていますけど、僕は残り10分弱しか出ていなくて、それも1点差で負けてしまった。本当にもう、中途半端にラグビー人生を終えたくない。絶対に優勝だけは、という思いがあります」
穏やかな表情で話す33歳の内面で、熱い思いが沸き上がる。
東芝の遺伝子をしっかりと継承する男が、ここにもいる。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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