眞壁 照男 | PR
TERUO MAKABE
ニックネーム | てる |
---|---|
生年月日 | 1996/5/4 |
身長(cm) / 体重(kg) | 172cm / 111kg |
足のサイズ(cm) | 27cm |
出身地 | 広島県 |
星座 | おうし座 |
血液型 | AB型 |
略歴 | 桐蔭学園高校立教大学 |
代表歴 | - |
在籍年数 | 5 |
眞壁 照男の物語
※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です
ラグビー一家に育った。ラガーマンだった父親のポジションはプロップで、男ばかりの4人兄弟もみなプロップというから驚かされる。
末っ子の照男少年は、4歳から楕円球に親しんだ。地元の広島県福山市で活動する『福山ラグビースクール』に通い、中学になると広島市内の『鯉城ジュニアラグビースクール』に活動の場所を移す。
東芝ブレイブルーパス東京のチームメイトである大内真は、小学生からの顔なじみだ。彼の実家のお寺で、合宿をしたこともあったという。
3人の兄は、県内の尾道高校へ進学した。両親も学校関係者も、末弟が同じ道を辿ると考えていた。ただひとり照男だけが、まったく違う未来図を思い描いていた。
「中学生当時の僕の目には、高校のラグビーってキツいイメージがあったんですね。そのなかで、桐蔭学園は選手たちがすごく楽しそうだった。周りはみんな、尾道へ行くと思っていたでしょうし、裏切り者扱いされたんですけど(苦笑)、実は鯉城スクールから僕を含めて4人が桐蔭へ行ってるんです」
一般入試で見事に合格を勝ち取ったが、ここからが試練である。
桐蔭学園は神奈川県横浜市にあるが、眞壁は埼玉県志木市に住むことになる。立教大学へ通う2番目の兄との同居が、両親が出した条件だったのだ。通学時間は片道1時間半強に及んだ。
1、2年時はメンバー外だったが、3年になってポジションをつかんだ。いよいよ花園に挑戦できると気持ちが奮い立つが、憧れの舞台には届かない。神奈川県予選の決勝で敗れてしまった。
大学は立教を選ぶ。憧れの兄の足跡をなぞった。
1年から試合で使ってもらったが、チームは成績を残せない。関東大学対抗戦Aグループ(1部相当)で最下位に終わり、Bグループ(2部相当)に降格してしまうのだ。
「2年からは2部で戦うことになり、社会人へ行くことはないかなあと思っていました。それが、3年の夏に東芝がプロップを探しているということで、練習に参加させてもらったんです」
東芝ブレイブルーパス東京で採用を担当している望月雄太が、立教と同じ対抗戦2部の一橋大でコーチをしていた。桐蔭学園の先輩でもある。
「巡り合わせに恵まれたところはあります」
眞壁自身は加入を前提とした練習参加というよりも、練習に加えてもらっているような感覚だった。大学の日程の合間を縫って、何度も、何度も、府中市のグラウンドへ足を運んだ。
「練習には20回近く行ったと思います。最終的にもっちんさんから、『東芝ブレイブルーパス東京で一緒に優勝を目ざして頑張ろう』と言ってもらったときは、驚いたでは足りないぐらいに驚きました。もちろん、断る理由なんてありませんでした」
加入1年目の19年シーズンに、強烈な体験をした。
「7月のトップリーグカップ戦で、1番のスタートが田中圭一さんで、2番手のがんてさん(金寛泰)がケガをして、プロップは僕しかいなくて、リサーブに入ることになったんです。それが東芝での最初の試合出場になったのですが……」
監督の瀬川智広に呼ばれて、衝撃的な宣告を受けた。
「オレはお前のことを使うつもりはなかった。ホントなら、がんてを出さなくてもいいから入れておくつもりだった」
先輩たちに比べると努力が足りていないし、意識も甘いと感じていた。瀬川の言葉は正当な評価だ、と受け止めるしかなかった。
「自分がただチームにいるだけの人間だったので、それがもう悔しくて。いま思い出しても悔しいです」
22-23シーズンにも、自分自身を見つめ直す出来事があった。加入12年目の森太志に、静かだがきっぱりとした口調でこう言われた。
「てる、何か積み上げてるのか?」
森はシーズン開幕から、1度もメンバー入りしていない。それでも、毎朝早くから体幹のトレーニングなどに取り組んでいる。眞壁は目が覚めるような思いだった。
「僕も以前はやっていたんですけど、ここ最近はやっていなかったんです。『いま試合で使ってもらえないなら、来年のためにいまから何か積み上げろ』と、太志さんに言われて、そのとおりだと思いました」
森の言葉に心を打たれた数日後、眞壁は22-23シーズンの初キャップを獲得した。11節のNECグリーンロケッツ東葛戦で、佐々木剛に代わって途中出場した。タウファ・ラトゥの退場処分を受けて、スクラムを安定させる役割を担った。49対20で勝利した試合後、トッド・ブラックアダーHCは、「これまでの準備とフィットネスにしっかり取り組んできた彼の努力が、今日素晴らしい仕事をこなしてくれたことにつながった」と眞壁を評価した。
社員選手の眞壁は、シーズンオフは社業に専念する。仕事の合間に有休をとってリフレッシュすることもあったが、思考のスイッチを切り替えた。
「ラグビーで結果を出すために、次のシーズンオフはしっかりトレーニングをしたいと思っています。12年もやっている太志さんのような選手があれだけやっているのに、4年目の僕が何もやっていない、というのは恥ずかしい。意地でも頑張らないといけない立場です」
このままでは終われない。常在戦場の心構えで、ラグビーに打ち込んでいく。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
ラグビー一家に育った。ラガーマンだった父親のポジションはプロップで、男ばかりの4人兄弟もみなプロップというから驚かされる。
末っ子の照男少年は、4歳から楕円球に親しんだ。地元の広島県福山市で活動する『福山ラグビースクール』に通い、中学になると広島市内の『鯉城ジュニアラグビースクール』に活動の場所を移す。
東芝ブレイブルーパス東京のチームメイトである大内真は、小学生からの顔なじみだ。彼の実家のお寺で、合宿をしたこともあったという。
3人の兄は、県内の尾道高校へ進学した。両親も学校関係者も、末弟が同じ道を辿ると考えていた。ただひとり照男だけが、まったく違う未来図を思い描いていた。
「中学生当時の僕の目には、高校のラグビーってキツいイメージがあったんですね。そのなかで、桐蔭学園は選手たちがすごく楽しそうだった。周りはみんな、尾道へ行くと思っていたでしょうし、裏切り者扱いされたんですけど(苦笑)、実は鯉城スクールから僕を含めて4人が桐蔭へ行ってるんです」
一般入試で見事に合格を勝ち取ったが、ここからが試練である。
桐蔭学園は神奈川県横浜市にあるが、眞壁は埼玉県志木市に住むことになる。立教大学へ通う2番目の兄との同居が、両親が出した条件だったのだ。通学時間は片道1時間半強に及んだ。
1、2年時はメンバー外だったが、3年になってポジションをつかんだ。いよいよ花園に挑戦できると気持ちが奮い立つが、憧れの舞台には届かない。神奈川県予選の決勝で敗れてしまった。
大学は立教を選ぶ。憧れの兄の足跡をなぞった。
1年から試合で使ってもらったが、チームは成績を残せない。関東大学対抗戦Aグループ(1部相当)で最下位に終わり、Bグループ(2部相当)に降格してしまうのだ。
「2年からは2部で戦うことになり、社会人へ行くことはないかなあと思っていました。それが、3年の夏に東芝がプロップを探しているということで、練習に参加させてもらったんです」
東芝ブレイブルーパス東京で採用を担当している望月雄太が、立教と同じ対抗戦2部の一橋大でコーチをしていた。桐蔭学園の先輩でもある。
「巡り合わせに恵まれたところはあります」
眞壁自身は加入を前提とした練習参加というよりも、練習に加えてもらっているような感覚だった。大学の日程の合間を縫って、何度も、何度も、府中市のグラウンドへ足を運んだ。
「練習には20回近く行ったと思います。最終的にもっちんさんから、『東芝ブレイブルーパス東京で一緒に優勝を目ざして頑張ろう』と言ってもらったときは、驚いたでは足りないぐらいに驚きました。もちろん、断る理由なんてありませんでした」
加入1年目の19年シーズンに、強烈な体験をした。
「7月のトップリーグカップ戦で、1番のスタートが田中圭一さんで、2番手のがんてさん(金寛泰)がケガをして、プロップは僕しかいなくて、リサーブに入ることになったんです。それが東芝での最初の試合出場になったのですが……」
監督の瀬川智広に呼ばれて、衝撃的な宣告を受けた。
「オレはお前のことを使うつもりはなかった。ホントなら、がんてを出さなくてもいいから入れておくつもりだった」
先輩たちに比べると努力が足りていないし、意識も甘いと感じていた。瀬川の言葉は正当な評価だ、と受け止めるしかなかった。
「自分がただチームにいるだけの人間だったので、それがもう悔しくて。いま思い出しても悔しいです」
22-23シーズンにも、自分自身を見つめ直す出来事があった。加入12年目の森太志に、静かだがきっぱりとした口調でこう言われた。
「てる、何か積み上げてるのか?」
森はシーズン開幕から、1度もメンバー入りしていない。それでも、毎朝早くから体幹のトレーニングなどに取り組んでいる。眞壁は目が覚めるような思いだった。
「僕も以前はやっていたんですけど、ここ最近はやっていなかったんです。『いま試合で使ってもらえないなら、来年のためにいまから何か積み上げろ』と、太志さんに言われて、そのとおりだと思いました」
森の言葉に心を打たれた数日後、眞壁は22-23シーズンの初キャップを獲得した。11節のNECグリーンロケッツ東葛戦で、佐々木剛に代わって途中出場した。タウファ・ラトゥの退場処分を受けて、スクラムを安定させる役割を担った。49対20で勝利した試合後、トッド・ブラックアダーHCは、「これまでの準備とフィットネスにしっかり取り組んできた彼の努力が、今日素晴らしい仕事をこなしてくれたことにつながった」と眞壁を評価した。
社員選手の眞壁は、シーズンオフは社業に専念する。仕事の合間に有休をとってリフレッシュすることもあったが、思考のスイッチを切り替えた。
「ラグビーで結果を出すために、次のシーズンオフはしっかりトレーニングをしたいと思っています。12年もやっている太志さんのような選手があれだけやっているのに、4年目の僕が何もやっていない、というのは恥ずかしい。意地でも頑張らないといけない立場です」
このままでは終われない。常在戦場の心構えで、ラグビーに打ち込んでいく。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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