【物語りVol.55】釜澤 晋 事業運営部 部長

 東芝府中ラグビー部からのブレイバーなら、釜澤晋の勇猛果敢なプレーに何度も胸を躍らされただろう。現GMのHO薫田真広、SH村田亙、CTBアンドリュー・マコーミック、FB松田努らとともに、釜澤は東芝の黄金時代を築いた。
「僕は大東文化大学の出身で、当時は三洋電機(現在の埼玉ワイルドナイツ)へ行く選手が多かったんです。けれど僕は、日本一になりたくて東芝を選びました。96年に全国社会人大会決勝で三洋を破って優勝し、日本選手権で明治大学に勝って日本一になりました」
 96年度の日本選手権当時は25歳だった。97年、98年と3連覇を達成するチームでバイスキャプテンを任され、4番を背負った。
 チームは98年度を最後に日本一から遠ざかるものの、2003年度の日本選手権で5年ぶり4度目の優勝を果たす。03年度から『ジャパンラグビー トップリーグ』が開幕し、チーム名は『東芝府中ラグビー部ブレイブルーパス』となっていた。
 04年3月21日に行なわれた神戸製鋼コベルコスティーラーズとの日本選手権決勝戦に、釜澤はお馴染みの4番をつけてスタートで出場している。奇しくもこの日は33度目の誕生日で、改めてその存在感を知らしめる試合となった。
「FWのなかでは中心的存在でできている、という自負がありました。チームに力がついてきていると感じていたので、もう1年現役を続けて常勝チームになる手伝いをしたいと思っていました」


 ところが、釜澤の未来は思いがけない方向へ向かっていく。
 決勝戦から2日後、監督になっていた薫田から呼び出しを受けた。当時のチームには、シーズン終了後1週間以内に選手の去就を決めることになっていた。薫田からの呼び出しは、勇退を進められることを意味していた。
「僕が現役にこだわっているのは、薫田さんも分かっていたみたいで、『FWコーチをやりながらプレイングコーチでどうだ』と言ってくれました。でも、そんなに甘いものではないですよね」
 FWコーチとしてスタッフに名を連ねつつ、これまで同様に選手登録をした。いつでも試合に出られる準備をしていたが、練習中の動きはコーチへ傾いていく。はからずも神戸に勝ったあの試合が、現役選手としてのラストマッチとなった。
 06年までFWコーチを務め、07年からは採用担当に立場を変えた。梶川喬介、リーチマイケル、三上正貴、森太志、豊島翔平らをリクルートした。

 10年8月には新たな職場へ飛び込む。当時の野球部、ラグビー部、バスケットボール部を統括する東芝本社のスポーツ推進室が、釜澤のフィールドとなった。
「その後はスポーツ推進室で働いていたところ、15年6月に東芝の会長を務めた岡村正さんが、日本ラグビー協会の会長に就任することになりました。それに伴って男性の秘書を探しているとのことで、ご指名をいただきました」
 スポーツ推進室に籍を置きながら、会長付き秘書を務めた。19年のW杯が行なわれる数か月前まで、釜澤は日本ラグビー界をそっと支えていったのである。
「僕がスポーツ推進室へ行ってから、東芝は日本一になっていないんですよね。準優勝は何度かあるんですけれど……」
 数多くのタイトルをつかんだ自身の現役当時に比して、現在のチームはどのように映るのか。「いやいやいや、僕がやっていた頃とはラグビーが違いますから。ものすごく進化していますから」と、釜澤は顔の前で大きく手を振る。スパイクを脱いで久しい自分は、何かを語るべき立場にない、との意思表示だ。それでもチームへの思いを問われると、自身の体験を披瀝した。


「96年度の三洋電機戦はシーソーゲームで、ウチがトライを取った直後の円陣で、薫田さんが『お前ら、勝ちたくないんか』と言ったんです。僕も勝ちたい気持ちでやっていましたが、心のどこかに『薫田さんがやってくれるだろう』という気持ちがあったかもしれません。それが、薫田さんのひと言で『自分がやらなきゃいけない』とスイッチが入ったんです。現代ラグビーはスキルとかパワーとか色々なものが進化していますけれど、根っこのところは変わらないんじゃないですかね」
 釜澤が言う「根っこ」とは、心技体の「心」を指す。50歳を超えたかつての名ロックは、静かに頷いた。
「最後は勝ちたいという気持ちが問われる。そういうものだと思う。マイケルがやってくれるだろうとか、ジョネがトライしてくれるだろうとかじゃなくて、オレが試合を決めるんだという気持ちを全員が持つ。15人全員が気持ちを合わせてやり切らないと、勝てないですからね」

 2023年現在の釜澤は、東芝ブレイブルーパス東京の事業運営部の部長職にある。スポーツ推進室の名刺も持ちながら、愛するラグビーを後方支援する。
 ホストゲームでは「ベニューマネージャー」を務める。分かりやすく言えば、「試合の総責任者」だ。試合前からインカムを着けて会場を動き回るので、ピッチに視線を止める時間はほとんどない。
「自分がFW出身だからかもしれないけれど、FWが強くないと試合は作れないと思っています。いくらバックスにすごい選手がいても、そこへボールが出ないとね。いまのチームは1番から5番までが25歳以下でしょう。彼らのような若い選手たちには、怖いもの知らずでやってくれればいい。いまはもうスポンジみたいなもので、試合に出るたびに色々と吸収しているでしょうから」
 フロントローの木村星南、原田衛、小鍜治悠太、セカンドローのワーナー・ディアンズとジェイコブ・ピアスは、釜澤の目にも頼もしく映るのだろう。同時に、経験者たちの存在感も見落とさない。
「日本選手権の決勝のピッチに立った瞬間は、大げさではなく武者震いがしたものです。そこでつかんだ勝利の味は忘れられないもので、目の前に広がる景色は格別でした。その景色を、いまの選手たちにも見てもらいたいんです。勝てなかった時代から頑張ってきている選手たちがいる間に、日本一になってほしいんですよね」
 リーグ戦で優勝するとか日本一になるといった経験は、モチベーションに薪をくべることにつながる。「あの喜びをもう一度味わいたい」との思いが、チームと個人のスタンダードを上げていく。常勝チームとは、そうやって作られていくものだ。
「日本一になったら、自分の人生も、ラグビー観も変わります。かつては会社の福利厚生で内向きだったけれど、いまは東芝ブレイブルーパス東京という会社ができているので、内向きも外向きもある。結果を残すことでチームの価値が上がり、認知度が高まることが期待でき、選手たちのプロ意識も上がってくるでしょう」
 釜澤の想いは、願いは、望みは、彼だけが抱くものではないだろう。東芝ブレイブルーパス東京のためにその身を捧げてきた、すべてのOBに共通するものに違いない。
 頼もしいOBたちが、ピッチに立つ選手たちを支えているのだ。
恐れることはない。怯むことはない。
東芝ブレイブルーパス東京のラグビーを、思う存分に見せつければいい。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)


【連載企画】東芝ブレイブルーパス東京 「物語り」
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【チケット情報】
3月4日(土)はコベルコ神戸スティーラーズと対決!!
ぜひ秩父宮ラグビー場にお越しいただき、東芝ブレイブルーパス東京の応援をよろしくお願いします!
3/4(土)コベルコ神戸スティーラーズ戦(@秩父宮ラグビー場)

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