森田 佳寿 | コーチングコーディネーター

YOSHIKAZU MORITA

森田 佳寿

ニックネーム YOSHI,YOSHI DOG
生年月日 1989/5/14
出身地 奈良県
星座 おうし座
血液型 O型
略歴 御所工業高校帝京大学
代表歴 U20
在籍年数 10

森田 佳寿物語

■まずは人間としていい関係性を築く

 2019年からスタッフ入りしている森田佳寿が、今シーズンからコーチングコーディネーターに就任した。
「役割として今年から大きく担っているのは、チームのアタックと全体のプランニングです。
年間のどういった時期にどういうことをするのか、という大きな絵でのプランニングと、もっと小さい4週間単位、1週間単位でどういったことをやっていくのかを計画するところです」
 日々のトレーニング内容を調整するのも、森田の役割である。
「コーチはそれぞれに役割を持っていて、全員がチームのことを考えて、良くしていきたいと思っています。『明日はこういうことに取り組むべきじゃないか』とか、『こういうことに数分間使わせてほしい』といったように、色々な意見が出ます。それらを調整しながら最終的に決めていくのが、大きな仕事のひとつです」
 仕事を進めていくうえでは、人間としての信頼関係を大切にしている。トッド・ブラックアダーHCをはじめとする外国人スタッフとは、英語でコミュニケーションを取っていく。
「日本人だから、外国人だからということは関係なく、みんなでいい仕事をしていくために、人と人との関係性はすごく大事だと感じています。相手が誰であっても、まずは森田佳寿という人間としていい関係性を築きたいので、できるだけ話をするようにしています。それぞれがどういうことを考えていて、何を良しとして何を良しとしないのか。そういう価値観のところについて、多く話すようにしています」

■「難しさ」のそばに「楽しさ」がある

 コーチングスタッフとして4年目を迎えた。現役当時と同じように真摯にラグビーと向き合いつつも、選手の立場では感じ得ない難しさも実感する。
「いくつかの難しさがありますが、ひとつは意思決定に対する責任です。ラグビーのルールもラグビーのスタイルも、世界のトレンドはどんどん変わっていますし、つねに変化があるものなので、これをやったら間違いないというような絶対的な正解はないと思っています。いくつか取ることのできる選択肢のなかで、自分たちにベストなのはどれなのかを考え、それをやっていこうと決める。それに対して選手やコーチが、『魅力的だよね、その方向がいいよね』と思ってもらえるための働きかけが、大きな仕事だと考えています」
 複数の選択肢のなかから、チームにとってベストなものを選ぶ。文字で表現するよりも、ずっと難しいのではないだろうか。森田は静かに頷いた。
「色々なシナリオを想定したときに、おそらく全体としてはこれをベースにしたほうがいいだろう、というものがあります。とはいえ、みんなが持っているアイディアも取り入れていき、全体のバランスと局所での最適解をうまく調整していく。そこがコーチとして難しくもあり、楽しいものでもあります」
 難しさのすぐそばにある楽しさを、実感することができると──。森田の表情に笑みが広がる。
「試合に勝ったときや試合でチームがうまくプレーできたときに、純粋に感じる喜びの量や大きさは、自分でプレーしているほうが大きいだろうとコーチになる前は思っていました。けれど、ホントに偽りなく、コーチになった今でも、プレーヤーの時と同じかそれ以上の喜びを感じるんです。選手たちがグラウンドの上でいいパフォーマンスをしてくれるのは、ホントに嬉しいです」

■イングランド研修で「物差し」が触れた

 29歳でブーツを脱いだ。現役引退のタイミングとしては、少しばかり早い印象がある。森田は「いい判断だったと思います」と切り出した。迷いや陰りを感じさせない口調である。
「脳震とうが多かったので、決断するタイミングが訪れたわけですが、僕自身は肯定的にとらえています。自分が引退したあとにトッドHCやジョー・マドックが東芝に来て、僕もコーチを始めたわけですが、彼らと一緒に作っているラグビーは自分が選手としてプレーしていてもとても楽しかったと思います。ですが同時に、あのタイミングからコーチとしてのキャリアをスタート出来たのは、これからコーチとして生きていきたい自分にとって将来へのアドバンテージになっていると思います。今年はイングランドへ研修に行ったのですが、3年間のコーチとしての経験があったからこそ、より深く学べた部分がありました」
8月中旬から9月上旬にかけて、森田はイングランドへ研修に出かけた。コーチ就任1年目のニュージーランド研修以来となる学びの機会だった。プレミアシップラグビーのバース、ハリクインズ、サラセンズで、およそ3週間を過ごした。
「歴史も所属選手の気質も、ラグビーのスタイルも違う3チームで、コーチングコーチスタッフの練習の組み立てかた、選手との関係性の築きかた、それを含めたチームの文化の築きかたは、それぞれに違いがありました。こういうところは僕たちに似ているなとか、僕たちに取り入れられるなとか、僕たちのほうがうまくやれているな、とかいうことがあって、それぞれの価値観とスタンダードを肌で感じられたのが一番大きかったと思います」
異なる価値観やスタンダードに触れることは、判断の選択肢を増やすことにつながるのだろう。それまでよりもさらに深い思考で、物事をとらえることができるとも言えそうだ。
「仕事とか日々の生活のなかで、何かを見たり誰かと話したりして『これはいい』とか『これは良くない』と自分の中で感じたり判断したりするわけですが、その基準は、自分がこれまで経験してきたことや、自分が触れ合った人から見たり聞いたりして、自分のなかででき上がっているものです。イングランドへ研修に行って、彼らがどういうことをして、どういう価値観を持っていて、どういった空気で取り組んでいるのかに触れたことで、僕の物差しが上か横か、どこかに触れたと思うんです。世界のトップクラブのなかでその物差しの調整ができたというのは、すごく良かったと思います」

■東芝ブレイブルーパス東京は「心を揺さぶるものを感じさせる集団」
 東芝ブレイブルーパス東京のスタッフとして仕事をすることは、森田にとってどのような意味を持っているのだろう。そもそも、彼を突き動かすものは何なのだろう。
「このチームは人を惹きつける、人間的な魅力のある組織だと思っています。心を揺さぶるものを感じさせる集団です」
 そう言って森田は、古い記憶を明かした。
「大学を卒業するにあたって、いくつかのチームに声をかけていただきました。どのチームでラグビーをしたいのか真剣に考え、最終的に2チームに絞りました。ひとつのチームは選手のプロ化が進んでいて、お金の条件も良く、アドバイザーに世界有数のコーチがいて、外国人にもすごい選手が揃っていました。成長するには申し分のない、素晴らしいチームでした。ほとんどそこに決めていたんですが、ある時に東芝とサントリーの試合を観たんです」
 上位対決となった府中ダービーは、サントリーのリードで終盤に突入する。4点差を追いかける東芝は連続攻撃を仕掛け、ノーサイド直前にトライを奪って逆転する。ゴールも成功させて、21対18でドラマティックな勝利を飾った。
身体の奥底から沸き上がる感情が、森田の胸を強く叩いた。
「試合後にサントリーのHCだったエディー・ジョーンズさんが、『東芝はレスリングをやっていた』と皮肉を言ったりする試合だったんですが、廣瀬(俊朗)とか大野(均)とかスティーブン・ベイツといった選手たちが、ホントにドロドロになりながら戦っていて。東芝とは大学生の時に日本選手権で試合をしたことがあり、U―20日本代表の時も監督が現GMの薫田(真広)さんだったので、そこでも練習試合をしていて、触れ合う機会が多くありました。そのどんなときも、決して華麗なラグビーではなかったけれど、「これが我々のラグビーだ」というものをひたむきに、プライドを持ってやっていた。その姿がすごくカッコよくて。僕は仕事もラグビーも誰と一緒にやるのかが大事だと考えていて、東芝の選手たちと同じ組織に所属したい、一緒にラグビーをしたい、こういう人たちが醸し出す雰囲気を出せるようになりたいな、と思って東芝に入りました。そういった魅力が、このチームにはあると思うんです」
自分たちが信じるものを、みんなで表現する。表現するために全力を注ぐ。東芝ブレイブルーパス東京のDNAを、森田も継承している。
そして、湯原祐希さんの思いも。自身と同じタイミングでアシスタントコーチとなった「ユハさん」と、森田は濃密な日々を過ごした。ともに過ごした時間、ともに観た景色は、彼のなかでしっかりと息づいている。
「このチームでコーチをやらせてもらっている限りは、『この結果を得られたら、これを達成できたらユハさんは嬉しかっただろうな』と思うことを達成できるように頑張りたい。ユハさんが亡くなってから、僕自身も東芝への思いがさらに強くなっていて、チームのために自分ができることを最大限発揮していきたい」

 普段はあまり感情的にならないように努めているという森田だが、東芝への思いは圧倒的なまでに熱い。こみあげる思いを柔らかに紡ぐ男は、チームの勝利をひたすらに追い求める。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

ファンクラブ

FANCLUB

ホストゲームをより楽しむための
特典がいっぱい!

ファンクラブ会員価格にてチケットを購入できます。

関連リンク

LINK

パートナー

PARTNER

このページのトップへ