德永 祥尭 | No.8

YOSHITAKA TOKUNAGA

德永 祥尭
德永 祥尭
ニックネーム とく,ふぃす
生年月日 1992/4/10
身長(cm) / 体重(kg) 185cm / 105kg
足のサイズ(cm) 30cm
出身地 兵庫県
星座 おひつじ座
血液型 A型
略歴 関西学院高等部関西学院大学
代表歴 U17日本代表U20日本代表JR.JAPANセブンス日本代表日本代表(12)
在籍年数 9

德永 祥尭物語

※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です

 東芝ブレイブルーパス東京のチーム関係者は、昭和の名作ドラマに感謝するべきかもしれない。我らが共同主将の德永祥尭が、ラグビーを始めるきっかけを与えてくれたからだ。
「お母さんがラグビー好きというか、学生時代に『スクールウォーズ』を観たのを覚えていて、子どもができたらラグビーをさせたいと思っていたそうなんです。それで、両親にラグビースクールに連れていかれました」  

 関西学院高校在籍時に花園出場を果たし、ベスト4まで勝ち上がった。U―17日本代表にも選出された有望株は、関西学院大学3年時にターニングポイントを迎える。日本ラグビーフットボール協会が実施していた若手選手育成プログラム、『ジュニア・ジャパン』のスコッドに選出されたのだ。
「すごくタフなツアーで、一か月で6試合ぐらい消化したんです。キャプテンは村田毅さん(当時NEC)で、佐々木隆道さん(当時サントリー)らのトップリーガーと、僕ら学生でチームが組まれて。大学ではウエイトにそこまで取り組んでいなかったですが、ジュニア・ジャパンで周りの人の身体のでかさにびっくりして。一緒に試合に出るなかで、『これじゃダメだ』ということに気づかされました。そこからウエイトに取り組むようになりました。ブレイブルーパスでこうして続けているのも、それがあったからだと思います

 大学では東芝ブレイブルーパス時代のOBとの出会いがあった。1990年代に主将を務め、日本代表でも主将も任されたアンドリュー・マコーミックさんが、2年時にヘッドコーチとしてやってきたのだ。
「スキルの幅が広がりました。1対1でオフロードを使ってしかけるスキルを、取り入れることができました」
 大学卒業時には、複数のチームから誘いを受けている。そのなかでも「自分を一番ほしいと思ってくれていると感じた」ことで、ブレイブルーパスのジャージに袖を通すことを選んだ。
 東芝ブレイブルーパス東京を選んだ理由が、実はもうひとつある。これがなかなか個性的だ。「德永祥尭」という人間の「素」の部分を、垣間見ることができる。
「寮と会社とグラウンドのアクセスが一番近い、というのも東芝を選んだ理由でした。自分の性格上、室内に籠っているのが無理なので、その三つが近ければオフの日もグラウンドに来て身体を動かしたりできる。何もしない時間を過ごしたくないというか、何かやっていたほうが安心するんです」
 もちろん、東芝ブレイブルーパス東京というチームに魅力を感じてもいた。
「すごいバックローの選手がいるので、1年目からたくさんのことを学びました。これはもう以前から話しているんですが、ブレイブルーパスでレギュラーになって、シーズンを通して試合に出ていれば、自然とジャパンに選ばれると思っていました。ジャパンを目標にしてチームに入ったのではなく、チームで1年目から出るのを目標にしていました」

 果たして、加入3年目の17年4月に日本代表初キャップを獲得する。同年の秋シーズンにはアウェイのフランス戦にも出場し、19年のW杯へ向けた競争に本格的に加わっていった。
 そのW杯では、日本中が熱狂するなかで悔しさを噛み締めた。メンバー入りを果たしたものの、試合出場の機会は得られなかった。 「W杯では試合に出られなかったので、正直キツかったですね。このフラストレーションを東芝で発散しようと思って、個人でできることはずっとやっていました」
 胸に熱いものを秘めたW杯後のシーズンに、小川高廣とともに共同主将に就任する。ここでまた、德永は意外な告白をする。
「僕は社会人になるまで、役職に就いたことがなかった。どちらかと言えば、ついていく立場でした。共同主将を打診されたときは、なんで? っていう感じで(笑)」
 4シーズン連続でチームの先頭に立ついまはもう、責任感と自覚が身体の芯に通っている。
「森太志さんには、いいときも悪いときも德永は思ったことを全部言うから、それでチームが締まる部分があると。それをずっと続けてくれ、と言われています」
 トッド・ブラックアダーHCからも、全幅の信頼を置かれている。德永と小川を今シーズンも共同主将に指名したことについて、トディの愛称で呼ばれる指揮官は「昨シーズンも素晴らしい仕事をしてくれました。彼らはチームを第一に考えて行動してくれる。組織から信頼されていて、選手としてもどんどん良くなっている」と高く評価するのだ。

 ひとりのプレーヤーとしての德永は、「東芝」の伝統を大切にする。かつて瞼に焼き付けた景色を、現在進行形で表現したいと考える。「昔の東芝は、いまよりもっと人に当たりにいっているイメージでした。トイメンに勝つことで自分への自信も、チームとしての自信も得られる。自分が前に出ることによって、チームも前に出られると思う。1対1で勝つことを見てカッコいいと思って入ってきているから、そこは見せていかないと。それに惚れた自分がいるから、それに惚れてほしいじゃないけれど、いいなと思ってほしいんです」
 共同主将として、ひとりのラグビー選手として、そして30歳の社会人として、胸に刻んでいる言葉がある。あらゆる場面において、德永の行動規範となっているものだ。
「関西学院高校ラグビー部では、『七つの言葉』というものが受け継がれているんです。『つねに精いっぱい』、『自主性』、『信頼』、『明るさ』、『清潔感あふれるプレーヤー』、『感謝の気持ち』、『気持ちの良いあいさつ』です。高校時代にU―17日本代表に選ばれたのですが、偉そうにしていたんでしょうね、安藤先生に『謙虚にやらないと』とお叱りを受けました。そういうこともあって、『七つの言葉』をいまでも大切にしています」 

 試合に勝つこともあれば、負けることもあるだろう。引分けにも満足できるものがあり、敗戦に等しいものもある。
 そういったものをすべて受け入れ、対戦相手へのリスペクトを忘れることなく、德永は次の試合へ向かっていく。『七つの言葉』を日々の行動に移し、東芝の魂を体現していくからこそ、人間としての魅力に溢れ、そのプレーは観るものの胸に響く。
 スタジアムへ足を運んだ人に、「また德永を観たい」と思わせるのだ。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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