宮上 廉 | WTB

REN MIYAGAMI

宮上 廉
宮上 廉
ニックネーム れん
生年月日 1997/5/15
身長(cm) / 体重(kg) 179cm / 87kg
足のサイズ(cm) 27.5cm
出身地 東京都
星座 おうし座
血液型 A型
略歴 佐賀工業高校帝京大学
代表歴 -
在籍年数 4

宮上 廉物語

※この物語は2022-2023シーズンにインタビューした内容です

 生まれながらのブレイバーである。
「府中市が地元で、小学校3年から小金井ラグビースクールでラグビーを始めました。それからすぐ、日本選手権の決勝を観に行ったんです。東芝ブレイブルーパス対トヨタヴェルブリッツ戦でした」
 2007年2月25日、第44回日本選手権決勝が行なわれた。秩父宮の上空には青空が広がっているものの、選手たちは冷たい風に打ちつけられている。
 試合は拮抗した展開のまま終盤を迎える。東芝ブレイブルーパスが12対10でリードする後半38分、ナタニエラ・オトのパスを受けた立川剛士が、巧みなステップワークで抜け出す。背番号15はボールを握った右手を突き上げ、インゴールにグラウンディングした。
「点差が開いていなかったので、次にトライしたチームが勝つねと、父と話していました。そうしたら、僕が観ている目の前で、立川さんがトライしたんです。メインスタンドの端のほうに座っていたので、ホントに目の前で。それがもうめちゃくちゃカッコよくて、東芝のファンになりましたし、このチームに入ろうと思ったんです」
 中学入学後も同じスクールでラグビーを続け、高校は佐賀工業へ進学する。その理由がふるっている。
「立川さんが佐賀工業卒だったので、立川さんみたいになりたいなら、同じ高校へ行こうかなと」
 両親はさぞ驚いたに違いない。しかし、長男の突拍子もない希望は受け入れられた。
「父親はすぐにツテを頼って、ラグビー部の小城先生に連絡を取ってくれました。それだけでなく、両親が長崎県出身だったからなのか、家族みんなで行こうと言ってくれました。4歳年下の弟は転校しなければいけなかったので、迷惑をかけてしまったかもしれませんね。僕は高校の3年間だけ佐賀で過ごすことになるのですが、両親はそのまま住み続けて、いまは佐賀に実家があります」

 立川だけでなく数多くのトップリーガーや日本代表を輩出した名門で、宮上は1年時と2年時はウイングで、3年時はフルバックで花園に出場した。
「佐賀工業へ行ったのは、人生で最初にして、一番大きな決断でした。練習はすごくキツかったですけど、自分から行きたいと言ったわけですし、ラグビーを辞めたいと思ったことはなかったですね。それよりも、小城先生は大した選手でもない自分を、試合で使ってくれました。当時から東芝に行きたいと言っていたので、僕が成長できるようにアプローチしてくれました」
 練習に打ち込む支えとなったのは、立川の言葉である。
「立川さんが『痛みは一瞬、妥協は一生』と言っていたと、人づてに聞きまして。ホントにそうだなあ、と思いました。ラグビーはコンタクトスポーツで、ケガもあって痛みを伴う。その痛みを理由に妥協しない。身体が動くのに妥協してしまったら、いい結果にもつながらないので」
 高校3年時には、キャプテンとしてチームを牽引した。日本代表候補にもピックアップされた。
 大学は帝京大学に進学する。大学選手権7連覇中のチームで、1年時から対抗戦に出場した。
 しかし、2年時は春季大会に1試合出場しただけでシーズンを終える。ラガーマンが抱える必然的なリスクと、宮上は格闘していた。
「2年の夏合宿で脳震とうをおこして、1年ぐらいラグビーができなかったんです。病院の先生からは、『もう一生ラグビーができなくなるかもしれない』と言われたこともありました」
 狼狽ののちに、絶望が襲ってきた。割り切れなさとあり余るほどの不安に苛まれながら、宮上は自身を奮い立たせる。
「自分では無理をしてやったこともあるし、絶対できるという自信があったので、自分を信じてトレーニングをしていました。『妥協は一生』ですから、後悔はしたくない。ラグビーができないと言った人に負けたくない、認めたくない、という気持ちがありました。いや、でも……きつかったですね」
 最後のひと言は、偽らざる本音だろう。
 1年以上のブランクを克服して、宮上はピッチに戻った。3年時には対抗戦の全7試合に出場した。
「東芝ブレイブルーパス東京の採用担当の望月さんが、3年生のシーズン中に声をかけてくださいました。1年からスタートに定着していたわけでなく、ようやく定着しはじめた僕に、声をかけてくださいました。人生で一番と言っていいぐらいに嬉しかったです」

 帝京大学を卒業した2020年度の新加入選手として、宮上は東芝ブレイブルーパス東京に迎え入れられた。ずっと憧れてきたチームの一員になったのである。かつて味わったことのない喜びが、全身を駆け巡った。
 そして、宮上は気づくのだ。
 自分はなぜ、東芝ブレイブルーパス東京に惹かれたのかに。
「小学生から東芝の試合を観ていて、面白いなと思っていたんですが、チームの中へ入ってみて、その理由が分かった気がします。みんながチームを愛していて、お互いにリスペクトしている」
 東芝ブレイブルーパス東京では、23年1月時点で公式戦に出場していない。一方で、男子セブンズ日本代表に招集され、世界各地を転戦している。
「加入1年目はチームのレベルと自分の実力にギャップがあって、ものすごく苦しみました。自分の取り組みや考えかたの甘さを痛感しました。予想はしていたけれど、もっと厳しいものがあった。もっと頑張らなきゃ、と感じました。まだ東芝ブレイブルーパス東京で公式戦に出場していないので、チームで結果を出すプロセスとして、まず目の前のセブンズ日本代表の試合でしっかりと結果を出す。小学生だった僕が立川さんのトライを見て、このチームに入ろうと思ったように、東芝ブレイブルーパス東京を応援してくれている子どもたちに、夢をつないでいきたいんです。あのジャージを着て試合に出て、日本一に貢献するところをブレイバーの方々に見ていただけるように、しっかり成長したい」
 確かな使命感がうなりを上げ、宮上を衝き動かす。生まれながらのブレイバーは、歴史をつなぐトライを自らに課していく。

(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)

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